![アトサヌプリ アトサヌプリ](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/53/Atosa-nupuri_from_mashu.jpg/400px-Atosa-nupuri_from_mashu.jpg)
アトサヌプリ(アイヌ語ラテン文字表記: atusa-nupuri)は、北海道弟子屈町にある第四紀火山である。標高は512m。活火山に指定されている。硫黄山(いおうざん)とも呼ばれる。
硫黄山の名は、狭義には明治年間にアトサヌプリの麓にあった硫黄の鉱山のみを指すことがある。当山付近をさす地名には「跡佐登」の字を用いる。
アイヌ語の「アトゥサ(atusa、「裸である」の意)」と「ヌプリ(nupuri、山)」に由来する。つまり「裸の山」を意味する。アイヌ語研究者の知里真志保によれば、北海道、南千島において熔岩や硫黄に覆われた火山を、アイヌは「atusa-nupuri」と呼んだ。
地質は安山岩およびデイサイト、流紋岩。サワンチサッブ、マクワンチサップなどの溶岩ドーム群からなる。噴気活動が活発で、火山ガスや水蒸気を出す噴気孔が1500以上ある。
アトサヌプリは屈斜路カルデラの中に存在する活火山で、このカルデラの最後の大噴火(約3万年前)以後に生成した後カルデラ火山に相当する。狭義のアトサヌプリは写真の中央に見える溶岩ドームを指すが、火山学的には隣にあるマクワンチサップなどの周辺の10個の溶岩ドームと直径約4kmの小カルデラを含むアトサヌプリ火山群として定義される。
3万年前以後の活動で成層火山を形成した後、火砕流を伴う噴火で直径約4 kmの小カルデラを形成した。その後、カルデラ内にマクワンチサップ(573 m)、サワンチサップなどの溶岩ドームができ、1,500年前以後の火山活動でアトサヌプリ溶岩ドームが完成した。最近の噴火は数百年前に起こったもので、このときの噴火で爆裂火口「熊落とし」ができた。現在 最近の2700年間で7回の爆発的噴火活動があったと推定され、活動が活発だったのは1000-1500年前で少なくとも5回の噴火があり、最新の噴火は 300-400年前と報告されている。
アトサヌプリ火山群は活動度の低い「ランクC」の火山に指定されている。また、火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている。気象庁により、火山性微動や噴火に伴う空気の振動等を観測するための地震計や空振計が設置されている。
火山から出る硫黄成分のため山麓周辺部の土壌は酸性化しており、一般に広く見られるエゾマツやトドマツなどが生育できない。荒地に適応したハイマツと、酸性土壌を好むイソツツジが優勢であり、7月初旬にはイソツツジ群落の一斉開花が見られる。一部にはコケモモやガンコウランなどの高山植物も見られ、日本でも最も標高の低い場所にある高山植物帯となっている。
地熱が高い部分は冬でも雪が積もることがない。川湯温泉の硫黄泉はアトサヌプリを源泉としている。温泉層が地表近くにあり、川となって流れていることから川湯と呼ばれる。
アトサヌプリの硫黄鉱山は、明治時代の士族反乱(西南戦争等)における国事犯収容施設(集治監)の建設、北海道開拓の停滞を打破したい開拓使の方針、安田財閥による鉱山開発の意向など様々な思惑が結びついて開発されたものである。鉱山としての命脈はわずかな期間であったが、集治監の設置や鉄道の建設などを通じ行われたインフラの整備は、後の釧路地方開発の礎となった。採掘した鉱石の積み出しは、アトサヌプリの東麓に敷設された鉄道により行われた。安田財閥の撤退後は長期間の休止の後に野村財閥系となり、1970年まで操業が続けられた。
アトサヌプリの硫黄鉱山については、川湯硫黄鉱山と呼ばれる場合もある。
麓の川湯温泉や多数ある噴気孔が観光名所となっている。入山は3人が死傷する落石事故が発生した2000年以降禁止されてきたが、2020年の夏~秋、ガイド同行を条件に少人数での登山が再開された。2020年10月17日~25日には、夜にアトサヌプリを照らすイベント「川湯の森 ナイトミュージアム」が実施された。
また、飲食店、土産物店も兼ねたビジターセンター(通称「硫黄山ネイチャーホール」)があり、アトサヌプリ周辺の自然、ならびに明治時代の硫黄採掘の歴史などについて、パネルや各種資料を展示・解説している。有料駐車場や遊歩道が整備されている。
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