安那郡(やすなぐん)は、広島県(備後国)にあった郡。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、福山市の一部(神辺町各町・加茂町各町・駅家町大字法成寺)にあたる。
歴史
当郡は古代吉備穴国造の領域であり、郡名の読みも当初は「あな」であったが、少なくとも平安時代までには「やすな」と読まれるようになっていた。
- 養老5年4月20日(721年5月20日) - 一部が深津郡として分立。
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(29村)
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により福山県、中津県の管轄となる。
- 11月15日(1871年12月26日) - 第1次府県統合により、全域が深津県の管轄となる。
- 明治5年6月5日(1872年7月10日) - 深津県が改称して小田県となる。
- 明治7年(1874年) - 東法成寺村・西法成寺村が合併して法成寺村となる。(28村)
- 明治8年(1875年)12月20日 - 岡山県の管轄となる。
- 明治9年(1876年)4月18日 - 広島県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての安那郡が発足。「安那芦田品治郡役所」が芦田郡府中市村に設置され、同郡・品治郡とともに管轄。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。全域が現・福山市。(14村)
- 川南村、川北村(それぞれ単独村制)
- 御野村 ← 平野村、下御領村、上御領村
- 上竹田村、下竹田村、八尋村(それぞれ単独村制)
- 湯田村 ← 湯野村、箱田村、徳田村
- 中条村 ← 西中条村、東中条村、三谷村
- 山野村 ← 山野村、矢川村
- 広瀬村 ← 北山村、百谷村
- 加茂村 ← 粟根村、芦原村、中野村、上加茂村、八軒屋村
- 下加茂村、法成寺村(それぞれ単独村制)
- 道上村 ← 十九軒屋村、十三軒屋村、道上村
- 明治31年(1898年)10月1日 - 郡制の施行のため、深津郡・安那郡の区域をもって深安郡が発足。同日安那郡廃止。
行政
- 安那・芦田・品治郡長
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 34 広島県、角川書店、1987年2月1日。ISBN 4040013409。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
. Source: