元興(げんこう)は、東晋の安帝司馬徳宗の治世に行われた2番目の年号。
402年 - 404年。元興元年は3月に一旦、隆安6年に戻された上で大亨元年とされた。後に再び元興に戻された。
『資治通鑑』では、桓玄の簒奪に反対する立場から大亨の元号を使用していない。
出来事
- 元興元年
- 正月元日:即日改元。桓玄追討の詔が下され、司馬元顕を征討大都督とする。
- 3月1日:先鋒の劉牢之が桓玄に降る。
- 3月4日:年号を隆安に戻す。桓玄が京師建康に入り、丞相となり全権を握る。
- 3月5日:「大亨」と改元。司馬元顕らを誅す。
- 12月26日:司馬道子が殺される。
- 元興2年
- 8月:桓玄が楚王となる。
- 12月3日:楚王桓玄が安帝の禅譲により皇帝に即位。国号を楚とし、建始の元号を立てる。しがし、趙王司馬倫が使った年号という理由で、すぐに「永始」に改元。
- 元興3年
- 2月27日:劉裕が京口で挙兵する。
- 3月3日:劉裕が建康に入る。
- 4月3日:安帝が桓玄により江陵へ連行される。
- 5月26日:桓玄は蜀に逃亡するも益州都護の馮遷により殺される。安帝が復位する。
- 10月:孫恩の娘婿の盧循が広州を襲って占拠する。
- 元興4年
西暦・干支との対照表
他元号との対照表
参考文献
- 『資治通鑑』
- 『中国歴代年号考』李崇智(中華書局 2004年)
関連項目
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