1972年のヤクルトアトムズ(1972ねんのヤクルトアトムズ)では、1972年のヤクルトアトムズの動向をまとめる。
この年のヤクルトアトムズは、三原脩監督の2年目のシーズンである。
三原脩監督・中西太ヘッドコーチ体制になって2年、しかし依然として低迷が続き、特に6月21日の大洋戦では2アウトから11点取られ、2日後の23日の巨人戦では1イニング13点を取られるという散々な状態で、6月には広島と最下位争いを演じた。投手陣はチーム防御率は3.73とリーグ最下位に終わり、543失点はリーグワーストだった。しかし終わってみれば4年ぶりの4位、安田猛が新人王と最優秀防御率のダブル受賞、そして2年目の若松勉が首位打者を獲得、新たなスターが誕生した。打撃陣はチーム打率が.254とリーグ1位で、102盗塁は巨人と同数だったが、打高傾向の中でも115本塁打はリーグ最下位、守備面ではリーグ最下位の114失策と、エラーがらみで失点するパターンも多く目立った。カード別では3位の中日や大洋などに大きく勝ち越したものの、優勝の巨人には8勝17敗1分、2位の阪神にも8勝18敗と両球団から16勝しかあげられなかった。
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