![オランダ語 オランダ語](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/Map_of_the_Dutch_World.svg/400px-Map_of_the_Dutch_World.svg.png)
日本語では現在は主にオランダ語と呼ぶが、江戸時代には蘭語(らんご)とも呼ばれ、今でも蘭(らん)という略称が広く使われている。
現代のオランダ地方では、古くは西ゲルマン語群の一言語古フランク語を話していた。後にこれが古低フランク語諸方言となる。ブルゴーニュ公国の下で政治的に統一されたのは中世後期に入ってからで、フランドル(北海沿岸)とブラバント(オランダ南部からベルギー北部)の方言が最も優勢であった。1600年ごろになって、オランダ語訳聖書を作成するためオランダ語をひとつにする必要性が生じた際、いくつかの方言のうちホラント地方の方言を中心に組み立てられた。これが現在のオランダ語の基礎になった。
オランダ語は、英語、ドイツ語、アフリカーンス語、フリジア語などと共に西ゲルマン語派に属する。ドイツ語学では広義のドイツ語(狭義のドイツ語を包含するゲルマン語の一派の総称)の方言の低地フランク語の一つとされる。しかしオランダ語話者から見ればこれはドイツのショービニズムとなるため、用心深いドイツ人ゲルマニストはドイツ語とオランダ語を同一のグループとして扱う場合は「大陸ゲルマン語」と呼ぶこともある。
オランダ語はオランダをはじめ、ベルギーのフランデレン地域、かつてオランダの統治下にあったスリナム、オランダ自治領のアルバ、オランダ領アンティルで使用され、これらの国と地域の公用語になっている。
オランダ、フランデレン、スリナムの各政府は、オランダ語連合を結成し、言語活動に関する政策を共有している。この機関によって定められた標準オランダ語(Standaardnederlands、旧称 ABN: Algemeen Beschaafd Nederlands)は、それぞれの国の教育・政治・放送などの場で使用されている。またベルギーに国境を接するフランスのノール県付辺でも、かつてはオランダ語(フラマン語)が使用されていたが、現在はごく一部を除きフランス語が優勢となっている。
フラマン語はベルギーで話されているオランダ語諸方言の総称である。フラマン語はベルギーのフランデレン(フランドル)地域で話されているオランダ語と、オランダ本国で話されているオランダ語と区別するために使われるが、独立した一言語ではなく、オランダ語の諸方言という社会言語学的な分類にすぎない。近年ベルギーにおいては“Vlaams”(フラマン語)を“Nederlands”(オランダ語)に言い換えることが公的に推奨されている。またフランス・フラマン語はその特性から、フランス国内ではダンケルク語と言うことがある。
オランダとベルギーにまたがるリンブルフ地方で話されるリンブルフ語は、学術上は独立した言語とみなされるが、政治上はオランダ語の一方言として扱われる。
アフリカーンス語は南アフリカとナミビアで話されており、主に16世紀のオランダ語の方言から派生したものである。オランダ語(低地ドイツ語)の「方言」とする見方と、極めて近縁ながら「別の言語」であるという見方があるが、実情はその中間である。
アフリカーンス語には多くのマレー語、バンツー語、英語からの借用語があるため、それらの語彙は標準オランダ語(及び、標準オランダ語に極めて近い低地ドイツ語)の話者には理解しづらい。この点を重視すれば、アフリカーンス語はオランダ語(低地ドイツ語)の方言でなく、その派生言語であるといえよう。しかし、アフリカーンス語の文法はオランダ語の文法を簡略にしたものであり、基本的な語彙は多くの点で共通しているので、借用語さえ理解すれば、オランダ語話者(及び低地ドイツ語話者)はアフリカーンス語話者と容易に相互理解が可能である。そのため、アフリカーンス語はいまだに「オランダ語の方言」と言ってもいいほどオランダ語との一体性を保っているともいえる。
オランダ語はラテン文字を用いて表記する。
オランダ語のつづりに特有の「ij」は慣習的に1文字のように扱われ、語頭で大文字にする場合には「IJzer」のように j も大文字にする。
連母音と二重母音と区別するために分音記号(¨)が用いられる。また強調や同じつづりの語を区別するため鋭アクセント符号(´)を用いることがある。例えばeenは不定冠詞と数詞「1」の両方の意味を持つが、数詞であることを明示したい場合にはアクセント符号を付してéénと書く。
オランダ語の正書法は近代では1946年に改革され、政府発行のWoordenlijst Nederlandse Taal(オランダ語単語一覧)、通称Groene Boekje(緑本)が公式なつづり方を示している。
1995年には、つづり方に揺れがあった複合語や外来語の統一基準などを含む新正書法が公布された。これによってGroene Boekjeも改訂され、最新版は2005年に発行された。
オランダ語には以下の母音と子音がある。(記事中の発音はIPAによって表記する。)
sch は s + ch とみなし[sx]と発音されるが、語尾では[s]となる。
[g]、[ʃ]、[ʒ]は外来語の中にのみ現れる。ときに[g]は[ɣ]として発音される。例: goal [gol], chef [ʃɛf], jury [ʒyri]
そのほか、 sj は[ʃ]、 tj は[c]、 nj は[ɲ]と発音される(オランダ語の音韻学上これらは単独の音素ではなく、それぞれ/s/+/j/、/t/+/j/、/n/+/j/の異音とみなされる)。
[ʔ](声門閉鎖音)が母音から始まる音節の頭に現れる(オランダ語においては単独の音素とみなさないのが一般的である)。
同化作用のために、次の語の語頭の子音はしばしば無声化する。例えばhet vee(the cattle)は/hətfe/になる。この無声化プロセスは一部地域(アムステルダム、フリースラント)では極端になり、[v], [z]及び[ɣ]がほぼ完全に無くなる。さらに、南部では、これらの現象が語中でも起こる。例えば、logenがloochen [loɣə] → [loxə]。オランダ南部のブラバントとリンブルフ及び、フランドルではgが口蓋化する(軟g)ため、この差はより大きめである。ただし、本来の有声音である/v/, /z/は/f/, /s/より発音時の息の出し方が弱い傾向にあり、無声化しても音素の対立はある程度認められる。
低地ドイツ語に属するオランダ語は第二次子音推移を受けていない。そのほか独自の変化も見られる。例えば、-oldや-oltで終わる語はlを失い、二重母音になった。比較すると、英語 old, ドイツ語 alt, オランダ語 oud のようになった。/u/を含むhus(「家」)のような語は、まず/y/を含む huus に変化し、その後二重母音/œy/を含む huis に至った。音素/g/はなくなり標準語では有声軟口蓋摩擦音 /ɣ/ になったが、フランダースやリンブルフなど南部では有声口蓋化摩擦音になった。
法と時制には、直説法(現在形、過去形、未来形、現在完了形、過去完了形、未来完了形)、仮定法現在形、命令法がある。ドイツ語と異なり、仮定法(ドイツ語の接続法に相当する)はあまり用いられない。
動詞は主語に応じて人称変化する。1つの主語に複数の動詞・助動詞が対応する場合、人称変化するもの(定動詞)は1つだけで、他は不定形のままとなる。ドイツ語と同様分離動詞と非分離動詞がある。英語のto不定詞、ドイツ語のzu不定詞に相当するte不定詞も用いる。分離動詞のte不定詞はドイツ語と異なり、「分離接頭辞」+te+「動詞本体」を離して書く(例「到着すること」:独anzukommen、蘭aan te komen)。
平叙文の主節(主文)では、動詞(または助動詞)を必ず文の2番目に置くという語順(V2語順、定形第2位の原則)をとる。主語は1番目に置かれることが多いが、1番目に別の要素を持ってきてもよく、その場合は主語は3番目、すなわち動詞の後ろに置かれる。1つの節の中に複数個の動詞が用いられる場合や、動詞に助動詞が付く場合は、主となる動詞(定動詞)または助動詞のみ人称変化して2番目に置かれ、他は不定形のまま文末に置かれる。ドイツ語とは異なり、助動詞は動詞の前に置かれる。決定疑問文("Ja"「はい」、"Nee"「いいえ」のいずれかで答えられる疑問文)では、動詞が1番目、主語が2番目に置かれる。補足疑問文(疑問詞を用いる疑問文)では、疑問詞が1番目、動詞が2番目、主語が3番目に置かれる。
従属節(副文)では、動詞や助動詞は節の最後に置かれる。従属節が主節の前に置かれる場合は、従属節の直後に主節の動詞が置かれる。(従属節全体を主節の1要素と見れば、その次に来る主節の動詞の位置は文全体で見れば2番目である。)
地理的関係上、オランダ語にはフランス語からの借用語が多い(しかし英語がフランス語から受けた影響に比べると少ない)。近年英語からの影響は強く、借用語の数は増加している。"überhaupt"や"sowieso"のようなドイツ語から取り入れられたものもある。
江戸時代の日本ではオランダがヨーロッパ唯一の貿易国であり、開国にいたるまでオランダ語が重視されていた。特にオランダから流入する西洋の学問は蘭学と呼ばれ、蘭学者は最新の知識を得るためにオランダ語を学ぶ必要があった。さらに長崎貿易を通じてオランダ語から多数の語が日本語に取り入れられ、今日もなお身近に使用されている。また、幕末の日米和親条約など欧米列強との交渉や文書においても、オランダ語は共通語として用いられた。
ただし、幕末最後の時期を通じて日本におけるオランダ語の地位は一挙に低下した。当時既に小国となっていたオランダではなく、英米独(プロイセン)仏などのいわゆる列強に学ぶべきという政治的判断や、オランダ語訳文献ではなく、その元になった原語文献(「解体新書」の場合であればドイツ語)にあたるべきという考えが広まったためであり、洋学者の多くは英語を軸とする英学などに転向する。明治新政府も中等教育における外国語には英語を択び、高等教育にはこれにドイツ語、フランス語を加える政策を取った。現在も、それぞれ27か国語、24か国語に専攻コースとして対応する東京外国語大学、大阪大学外国語学部もともにオランダ語をこれに含めておらず、オランダ語を第一外国語として学べる大学は存在しない。今日では、いくつかの外来語に、かつてオランダ語が日本におけるほぼ唯一の西洋語であった長い時代の名残をとどめる形となっている。
江戸時代後期・末期の蘭学の発展に多大な貢献をした辞書として、まずは次の2点が挙がる。
日本におけるオランダ語の学習は、明治時代以降も細々と続いた。これは当時のオランダ領東インド(現在のインドネシア共和国に相当する)との交易関係によるところが大きい。学習者の必要に答える形でオランダ語―日本語、または日本語―オランダ語の辞書が編まれた。
太平洋戦争中に出版された辞書には以下がある。
戦後は単語帳の類を除いて、長らく辞書は登場しなかった。しかし、20世紀末以降に2つの辞書が刊行されている。
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