幅下(はばした)は、愛知県名古屋市西区の地名。現行行政地名は幅下一丁目および幅下二丁目がある。住居表示実施。
地理
名古屋市西区南東部に位置する。東は中区、西は新道一丁目および同二丁目、南は那古野一丁目、北は浅間一丁目・城西一丁目に接する。
歴史
町名の由来
熱田台地上に造成された上町に対して、巾下と称した地域であることに由来するという。
沿革
- 1981年(昭和56年)8月23日 - 西区幅下一丁目が同区堀詰町・南鷹匠町・小舟町・塩町・浅間町・外田町・北駅町・六句町の各一部により、同幅下二丁目が比米町の全域および裏塩町・井桁町・五条町・小舟町・塩町・隅田町・堀詰町・藪下町・六句町の各一部によりそれぞれ成立する。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。
交通
- 国道22号
- 愛知県道200号名古屋甚目寺線(外堀通)
- 名古屋市道江川線
施設
幅下一丁目
- 名古屋市立なごや小学校
- 浄土宗貞養寺
- サンゲツ本社
- 幅下公園
- 八百彦本店
- 幅下コミュニティセンター
幅下二丁目
- 景雲橋郵便局
- 須佐之男社
- 迦具土社
- 中央菓子卸売市場
- みゆき公園
史跡
- 蟹養斎が1748年(延享5年)に尾張藩の公許により、巾下御門御作事屋敷内に設置した学問所。1749年(寛延2年)に藩主徳川宗勝より「明倫堂」の扁額を賜ったのちは「明倫堂」(巾下明倫堂)と称された。蟹養斎による経営が行き詰まり、藩に支援を要求すると、それを理由に立ち退きを命ぜられ、1751年(宝暦元年)廃止に至ったとされる。ただしその後も学問所としては存続し、藩校代わりに利用された。1783年(天明3年)、尾張藩の藩校が成立すると、「明倫堂」の扁額とともに明倫堂の名称は召し上げられ、巾下学問所の旧名に復したという。
その他
日本郵便
- 郵便番号 : 451-0041(集配局:名古屋西郵便局)。
脚注
WEB
書籍
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市教育委員会 編『名古屋の史跡と文化財(新訂版)』(第二版)名古屋市教育委員会、1991年10月31日。全国書誌番号:92011448。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、幅下 (名古屋市)に関するカテゴリがあります。
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