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マリ伯爵


マリ伯爵


マリ伯爵(Earl of Moray [ˈmʌri])は、スコットランド貴族の伯爵位。過去に5回創設されており、1562年にジェームズ5世の私生児ジェームズ・ステュアートが叙せられた第5期のものが現存している。

歴史

第1期から第4期

スコットランドのマリは1130年にスコットランド王デイヴィッド1世(1080年頃-1153年, 在位1124年-1153年)に征服されてスコットランド王国に併合されるまでモーマー(領主)という統治者によって統治されてきた。スコットランド王位継承がタニストリーであった時代にシェイクスピアで有名なマクベス(1005年-1057年, 在位1040年-1057年)が王位に就いているが、彼は異説もあるものの、おそらくマリのモーマーフィンレック(Findláech, 生没年不詳)とスコットランド王マルカム2世(954年-1034年, 在位1005年-1034年)の娘ドウナダ(Donada, 生没年不詳)の間の子であった。

1130年にマリがスコットランドに併合された後もマリはイングランド軍に占領されることが少ない地域だったため、スコットランドのイングランドへの抵抗運動において隠れ場所や兵員募集の拠点として重要な地域となった。イングランドから独立してスコットランド王に即位したロバート1世(1274年-1329年, 在位1306年-1329年)は、1312年に甥にあたると言われるトマス・ランドルフ(生年不詳-1332年)に最初のマリ伯位を与えている。かつてのマリのモーマーの領土に加えて、マリの沿岸地域の王領も領土とされた。初代マリ伯はバノックバーンの戦いやオールド・バイランドの戦いでロバート1世の指揮下でイングランド軍と戦った後、1329年から1332年にかけてロバート1世の跡を継いで即位したデイヴィッド2世(1324年-1371年, 在位1329-1371)の摂政を務めた。しかし息子の3代マリ伯ジョン・ランドルフ(生年不詳-1346年)は、子供のないまま暗殺されたため、最初のマリ伯は廃絶した。

その後、マリにはダンバー氏族やスチュワート氏族など外部の氏族集団(クラン)の進出が進み、1372年3月9日には初代マリ伯トマス・ランドルフの娘イザベル(Isabel Randolph, 生没年不詳)とサー・パトリック・ダンバー(生年不詳-1356年)の間の子ジョン・ダンバー(生没年不詳-1391年)が第2期のマリ伯に叙せられている。このマリ伯は第1期のマリ伯領の沿岸部分を領土としており、高地部分についてはロバート2世(1316年-1390年)の子バカン伯爵アレグザンダー・ステュアート(1343年-1405年)バデノッホ卿(Lord of Badenoch)として獲得する分割がなされた。しかしこの分割は同族内の対立やヘブリディーズ諸島のロード・オブ・アイルズによる東方進出など戦乱を招いた。第2期マリ伯は初代マリ伯ジョン・ダンバーの孫にあたる4代マリ伯ジェームズ・ダンバー(生年不詳-1429年)まで継承された後、4代伯の娘エリザベス・ダンバー(生年不詳-1485年)が継承者となったため、その夫であるアーチボルド・ダグラス(Archibald Douglas, Earl of Moray, 生年不詳-1455年)にマリ伯の称号が認められたが、彼は1455年に兄にあたる第9代ダグラス伯爵ジェイムズ・ダグラス(1426年–1488年)に従って国王に反旗を翻し、アーキンホームの戦いで敗死したため、全称号をはく奪されることとなった。またエリザベスの姉妹の夫にあたる第2代クライトン卿ジェイムズ・クライトン(生年不詳-1454年)にもマリ伯の称号が認められていた。アーキンホームの戦い後、マリ伯領は王冠に戻ったが、その下でハントリー伯爵ゴードン氏族が支配力を伸ばしていった。

1501年6月12日にはジェームズ4世の私生児ジェイムズ・ステュアート(1499年頃–1544年)が幼くしてアバーネシー=ストラサーン卿(Lord Abernethy and Strathearn)とともに3期目のマリ伯に叙せられ、莫大なマリ伯領を与えられたが、彼は継承者を残せなかったので彼の死後にマリ伯領は王冠に返還された。

ついで第4代ハントリー伯爵ジョージ・ゴードン(1514年–1562年)が1549年2月13日に4期目のマリ伯に叙せられたが、メアリー女王と対立し、コリッチーの戦いに敗れて捕らえられた後に死去し、死後の1563年5月28日に称号をはく奪された。

第5期

ジェームズ5世の私生児ジェームズ・ステュアート(1531年頃–1570年)は、1561年にフランスから帰国した異母妹メアリー女王(1542年-1587年,在位1542年-1567年)の政治顧問となり、1562年1月30日にアバーネシー=ストラサーン卿(Lord Abernethy and Strathdearn)とともに第5期のマリ伯に叙せられた。当初は男系男子に限られる爵位であったが、1566年6月1日に男子なき場合に女子が相続する爵位に変更されている。1562年2月7日にはマー伯爵にも叙せられていたが、この爵位は数か月後に返上している。初代伯は徐々に女王との関係を悪化させ、1565年には女王とダーンリー卿ヘンリー・ステュアート(1545年-1567年)の結婚に反対して反乱を起こすも敗れてイングランドへ逃れたが、1567年に女王が退位すると帰国して甥ジェームズ6世の摂政に就任した。プロテスタント政策・親イングランド政策を推進したが、メアリー女王支持派のハミルトン家の者に暗殺されるという最期を迎えた。

初代伯は男子がなかったため、長女エリザベス・ステュアート(生年不詳-1591年)が第2代マリ女伯を継承し、その夫である第2代ドゥーン卿ジェームズ・ステュアート(1565年頃-1592年)妻の権利でマリ伯の称号を使用した。しかし1591年にボスウェル伯フランシス・ステュアートがホリールード宮殿へ侵入してジェームズ6世の命を狙う事件を起こすと、共犯と疑われたドゥーン卿は王の命令を受けた第6代ハントリー伯爵ジョージ・ゴードンに殺害された。

2代女伯夫妻の長男ジェームズ・ステュアート(生年不詳-1638)は母から3代マリ伯、父からドゥーン卿を継承し、以降ドゥーン卿がマリ伯の従属爵位に加わった。また父の従兄弟にあたる第2代セント・コルム卿ジェームズ・ステュアート(生没年不詳)が男子なく死去した後には初代に遡った継承が可能なセント・コルム卿も継承して従属爵位に加えた。

その孫の5代伯アレクサンダー・ステュアート (生年不詳-1701)は1680年から1689年にかけてスコットランドの国務大臣を務めたが、晩年にはジャコバイトの疑いをかけられて投獄された。

その息子の6代伯チャールズ・ステュアート(生年不詳-1735)は、襲爵前の1681年9月23日にノヴァスコシアの準男爵に叙せられているが、1707年から1708年にかけてジャコバイトの疑いをかけられて投獄された。また子供がなかったため、準男爵位は彼一代で廃絶した。

6代伯の死後、弟のフランシス・ステュアート(生年不詳-1739)が7代伯を継承した。その死後、その息子のジェームズ・ステュアート(1708–1767)が8代伯爵を継承し、スコットランド貴族代表議員としてイギリス貴族院議員を務め、またスコットランドのフリーメイソンのグランドマスターを務めた。

その息子の9代伯フランシス・ステュアート(1737–1810)もスコットランド貴族代表議員としてトーリー党所属の貴族院議員を務めていたが、1796年6月4日にグレートブリテン貴族爵位インヴァーネス州におけるステュアート城のステュアート男爵(Baron Stuart, of Castle Stuart in the County of Inverness)に叙せられたことにより、以降の当主は自動的に貴族院議員に列することとなった。

その息子の10代伯フランシス・ステュアート(1771–1848)は、スコットランド・フリーメイソンのグランドマスターを務めた。10代伯の死後はその息子たちによる兄弟継承が14代伯ジョージ・ステュアートまで続いた。

14代伯の死後は9代伯に遡っての分流によって継承されるようになった。17代伯モートン・グレイ・ステュアート(1855–1930)の三男ジェームズ・ステュアート(1897–1971)は、保守党の政治家として活躍し、1951年から1957年にかけてはスコットランド大臣を務め、その退任後の1959年11月20日に連合王国貴族マリ州におけるフィンドホーンのフィンドホーンのステュアート子爵(Viscount Stuart of Findhorn, of Findhorn in the County of Moray)に叙せられた。以降フィンドホーンのステュアート子爵家はマリ伯爵家の分流の貴族として続いている。

2019年現在のマリ伯爵家の当主は21代マリ伯ジョン・ステュアート(1966-)である。

現当主の保有爵位

現当主ジョン・ステュアートは以下の爵位を保有している。

  • 第21代マリ伯 (21st Earl of Moray)
    (1562年1月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第21代アバーネシー=ストラサーン卿 (21st Lord Abernethy and Strathdearn)
    (1562年1月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第21代ドゥーン卿 (21st Lord Doune)
    (1581年11月24日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第21代セント・コルム卿 (21st Lord St Colme)
    (1611年3月7日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • インヴァーネス州におけるステュアート城の第13代ステュアート男爵 (13th Baron Stuart, of Castle Stuart in the County of Inverness)
    (1796年6月4日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

歴代当主一覧

マリ伯 第1期 (1312年)

  • 初代マリ伯トマス・ランドルフ (生年不詳-1332)
  • 2代マリ伯トマス・ランドルフ (生年不詳-1332)- 先代の息子
  • 3代マリ伯ジョン・ランドルフ (生年不詳-1346)- 先代の弟

マリ伯 第2期 (1372年)

  • 初代or4代マリ伯ジョン・ダンバー (生年不詳-1391)- 先代の甥
  • 2代or5代マリ伯トマス・ダンバー (生年不詳-1422?)- 先代の息子
  • 3代or6代マリ伯トマス・ダンバー (生没年不詳)- 先代の息子
  • 4代or7代マリ伯ジェームズ・ダンバー (生年不詳-1429)- 先代の弟
  • 5代or8代マリ女伯エリザベス・ダンバー (生年不詳-1485) 先代の娘。1455年に喪失
    • マリ伯アーチボルド・ダグラス (生年不詳-1455) - 彼女の最初の夫。8代と9代ダグラス伯爵の弟
    • マリ伯・2代クライトン卿ジェイムズ・クライトン (生年不詳-1454) - 彼女の姉妹の夫

マリ伯 第3期 (1501年)

  • 初代マリ伯ジェイムズ・ステュアート (1499頃–1544)

マリ伯 第4期 (1549年)

  • 第4代ハントリー伯・初代マリ伯ジョージ・ゴードン (1514–1562)

マリ伯 第5期 (1562年)

  • 初代マリ伯ジェームズ・ステュアート (1531頃–1570)
  • 2代マリ女伯エリザベス・ステュアート (生年不詳-1591) - 先代の娘
    • 2代マリ伯ジェームズ・ステュアート (生年不詳-1592) - 彼女の夫
  • 3代マリ伯ジェームズ・ステュアート (生年不詳-1638) - 先代の息子
  • 4代マリ伯ジェームズ・ステュアート (生年不詳-1653) - 先代の息子
  • 5代マリ伯アレクサンダー・ステュアート (生年不詳-1701)- 先代の息子
  • 6代マリ伯チャールズ・ステュアート (生年不詳-1735) - 先代の息子
  • 7代マリ伯フランシス・ステュアート (生年不詳-1739) - 先代の弟
  • 8代マリ伯ジェームズ・ステュアート (1708–1767) - 先代の息子
  • 9代マリ伯フランシス・ステュアート (1737–1810) - 先代の息子
  • 10代マリ伯フランシス・ステュアート (1771–1848) - 先代の息子
  • 11代マリ伯フランシス・ステュアート (1795–1859) - 先代の息子
  • 12代マリ伯ジョン・ステュアート (1797–1867) - 先代の弟
  • 13代マリ伯アーチボルド・ジョージ・ステュアート (1810–1872) - 先代の弟
  • 14代マリ伯ジョージ・フィリップ・ステュアート (1816–1895) - 先代の弟
  • 15代マリ伯エドマンド・アーチボルド・ステュアート (1840–1901) - 先代の従兄弟の息子
  • 16代マリ伯フランシス・ジェイムズ・ステュアート (1842–1909) - 先代の弟
  • 17代マリ伯モートン・グレイ・ステュアート (1855–1930) - 先代の弟
  • 18代マリ伯フランシス・ダグラス・ステュアート (1892–1943) - 先代の息子
  • 19代マリ伯アーチボルド・ジョン・モートン・ステュアート (1894–1974) - 先代の弟
  • 20代マリ伯ダグラス・ジョン・マリ・ステュアート (1928–2011) - 先代の息子
  • 21代マリ伯ジョン・ダグラス・ステュアート (1966-) - 先代の息子
    • 法定推定相続人は現当主の息子ドゥーン卿(儀礼称号)ジャック・アレグザンダー・ステュアート (2002-)

家系図

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。 
  • 森護『スコットランド王国史話』大修館書店、1988年。ISBN 978-4469242560。 
  • ナイジェル・トランター著、杉本優訳『スコットランド物語』大修館書店、1997年。
  • 小林麻衣子『近世スコットランドの王権 -ジェイムズ六世と「君主の鑑」-』ミネルヴァ書房、2014年。

関連項目

  • フィンドホーンのステュアート子爵
  • スチュワート氏族
  • ドゥーン城
  • ステュアート城

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: マリ伯爵 by Wikipedia (Historical)