1989年8月自由民主党総裁選挙(1989ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、1989年(平成元年)8月8日に行われた日本の自由民主党の党首である総裁の選挙である。
1989年7月24日、第15回参議院議員通常選挙で自民党が過半数を下回る大敗をし総裁の宇野宗佑が退陣を表明。宇野内閣発足からわずか2か月後に実施された。
リクルート事件の影響で事件に関与した安倍晋太郎・宮澤喜一・渡辺美智雄といった派閥の長が立候補できない中にあって、竹下派が影響力を残せる候補が模索された結果、「時計の針を戻さず進めず」(高齢だった河本敏夫のように世代交代に逆行するわけでもなく、当選回数がより少ない橋本龍太郎のように世代交代が進んで竹下登・安倍晋太郎といった世代の出番がなくなることもない)として年齢の割に当選回数が多かった元文部大臣で河本派の海部俊樹が擁立された。竹下・安倍・河本の三派連合により海部の当選は確定的であったが、旧田中派二階堂グループの林義郎が宮澤派の支援のもと立候補し、他に安倍派を除名されていた亀井静香は海部・林には投票する気がなかった為に平沼赳夫、園田博之と共に安倍派の石原慎太郎を担ぎ出したが推薦人集めに苦労し、太田誠一、山中貞則などが石原の20人の推薦人になったものの、48票に終わった。
この時の総裁選から、総裁候補がテレビ番組に出演して政見を語るなどをして、総裁選において総裁候補と国民との距離を縮める手法が行われるようになってきている。
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