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松ヶ枝町 (境港市)


松ヶ枝町 (境港市)


松ヶ枝町(まつがえちょう)は、鳥取県境港市の町名。郵便番号は684-0005(境港郵便局管区)。

歴史

松ヶ枝町は、1870年9月から1887年8月に至るまでの境町の町名で、もとは境村の一部だった。地内には江戸期より続く光祐寺があった。

1887年8月、境町の小町はいったん廃止され、単に「境町」とのみ呼称したが、1926年5月再び境町の大字「松ヶ枝町」として設定された。表記の方法は、大字の文字は表記せず、「境町松ヶ枝町」となった。

1935年の桜町大火で町域東部が羅災した。1945年の玉栄丸爆発事故では全町域が焼失した。第2次大戦後商店街に変化した。1965年には歩道アーケードが架設された。

1954年に境町が周辺の渡村・外江町・上道村・余子村・中浜村と合併して境港町となり、境港町の大字「松ヶ枝町」となった。1956年、市制施行に伴い境港市の町名「松ヶ枝町」となった。

世帯数と人口

2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである。

世帯数と人口の変遷

明治初年の戸数・人口は1丁目227・840、2丁目81・289、3丁目53・207、4丁目42・163。世帯数・人口は1955年、98・411。1980年、94・314。

経済

産業

1871年(明治4年)4月に記帳された『市中商売根帳』(花町面谷宏家蔵)によると、松ヶ枝町は「木綿仲買7戸、古手仲買1戸、綿仲買6戸、諸品仲買5戸、太物小間物2戸、雑穀荒物6戸、造酒株1戸、質屋2戸、宿屋3戸、船方小宿4戸、飯盛宿3戸、渡海船頭8戸、中背稼55戸、釣漁渡世9戸、鍛冶職3戸、綿打職4戸、大工職4戸、船大工職4戸、帆木綿仕出職1戸、桶屋職2戸、搗米屋6戸、刻煙草業2戸、豆腐屋1戸、蕎麦屋3戸、糀屋家業2戸、造酢屋2戸、焼酢屋2戸、髪結5戸、瓦屋1戸、左官4戸、古道具屋1戸、金物類1戸、口銀師2戸、鋳懸屋1戸、米子飛脚1戸」である。

地域

健康

かつて松ヶ枝町に居住した医師
  • 祝洋之助
  • 手島安市

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

Collection James Bond 007

交通

鉄道

町内に鉄道駅はない。

バス

道路

  • 水木しげるロード

施設

公共
  • 松ヶ枝町公衆トイレ
宗教
  • 光祐寺(浄土宗) - 1956年、馬場崎町に移転した。

出身・ゆかりのある人物

  • 里見富次(内務官僚) - 帝都高速度交通営団理事。
  • 松下整吉(松下酒店社長、境港商工会議所副会頭)
  • 西村絜(陸軍建技大尉)

脚注

参考文献

  • 『境港案内』境商工会、1906年。
  • 工業之日本社編『日本工業要鑑 昭和7年度(第22版)』工業之日本社、1927 - 1932年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1928年05月24日』日本マイクロ写真、1928年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1929年03月26日』日本マイクロ写真、1929年。
  • 金原商店出版部編『大日本医師名簿 昭和6年版』金原商店、1930年。
  • 光明社編『最近調査大日本医師名簿』光明社、1931年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1931年07月04日』日本マイクロ写真、1931年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1934年04月07日』日本マイクロ写真、1934年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。
  • 帝国興信所編『帝国銀行会社要録 昭和17年(30版)』帝国興信所、1941 - 1943年。
  • 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。

関連項目

  • 水木しげるロード

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 松ヶ枝町 (境港市) by Wikipedia (Historical)