平和が丘(へいわがおか)は、愛知県名古屋市千種区・名東区の地名。現行行政地名は平和が丘一丁目から平和が丘五丁目。住居表示未実施。
地理
名古屋市名東区西端部に位置する。東は八前三丁目・よもぎ台二丁目・よもぎ台三丁目・社台一丁目、西から北は千種区に接する。また、千種区平和が丘三丁目部分については、区東部に位置する。北側で名東区平和が丘に接するほかは、すべて桜が丘に接する。
歴史
町名の由来
平和公園が平和が丘と通称されていたことに由来するという。
沿革
- 1976年(昭和51年)10月10日 - 名東区猪高町大字猪子石の一部により、同区平和が丘一丁目から平和が丘五丁目がそれぞれ成立する。平和ヶ丘土地区画整理組合の換地処分による。
- 1977年(昭和52年)1月23日 - 名東区平和が丘三丁目に猪高町大字猪子石・千種区田代町、名東区平和が丘四丁目に猪高町大字猪子石の各一部をそれぞれ編入される。また、千種区平和が丘三丁目が千種区田代町の一部により成立する。平和ヶ丘南部土地区画整理組合の換地処分による。
- 1981年(昭和56年)9月20日 - 名東区平和が丘一丁目に猪高町大字猪子石・千種区田代町・千種区富士見台、名東区平和が丘二丁目および三丁目に猪高町大字猪子石の各一部をそれぞれ編入する。
- 1986年(昭和61年)5月3日 - 名東区平和が丘一丁目および四丁目・五丁目に猪高町大字猪子石の一部をそれぞれ編入する。猪子石土地区画整理組合の換地処分による。
- 2001年(平成13年) - 名東区平和が丘三丁目に東邦学園大学が開学する。
- 2007年(平成19年) - 東邦学園大学が愛知東邦大学と改称する。
世帯数と人口
2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。なお、千種区についてはわずかな数の為、秘匿とする。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移(千種区平和が丘三丁目部分については非公表のため除く)
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。
交通
施設
平和が丘一丁目
- 平和公園
- 名古屋市立平和が丘小学校
- 名古屋市営バス猪高営業所
- ブロンコビリー本社
- フィールクオリテ平和が丘店
- 名古屋東公共職業安定所(ハローワーク名古屋東)
- 1931年(昭和6年)に中区丸田町に置かれた名古屋市の職業紹介所をルーツとする。1947年(昭和22年)に名古屋中職業安定所と改組され、1979年(昭和54年)2月に猪高町大字猪子石字栂廻間と称していた当地に移転してきた。
- 名東区平和が丘一丁目(当時は千種区猪高町大字猪子石字栂廻間)に所在した名古屋市の処分場。面積は76,273平方メートル。1964年(昭和39年)11月から1965年(昭和40年)6月にかけて使用。
- 栂廻間公園
- らくスパガーデン名古屋
- 国家公務員合同宿舎猪子石住宅
平和が丘二丁目
平和が丘三丁目
- 平和が丘神社
- 愛知東邦大学
- 東邦高等学校
- 平和が丘第一公園
- 珉光幼稚園
- 珉光院
平和が丘四丁目
- 平和が丘第二公園
- 瑞光寺
- 聖徳寺
- 日本基督教団愛知教会
- 濁池公園
その他
日本郵便
脚注
WEB
新聞
書籍
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
- 名東区区制20周年記念事業実行委員会 編『名東区制20周年記念誌』名東区区制20周年記念事業実行委員会、1995年。全国書誌番号:96035675。
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、平和が丘に関するカテゴリがあります。
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