![首領を殺った男 首領を殺った男](/modules/owlapps_apps/img/nopic.jpg)
『首領を殺った男』(ドンをとったおとこ)は、1994年5月14日公開の日本映画である。製作・東映京都撮影所、東映ビデオ、配給・東映。
1993年暮れの東映社内会議で岡田茂会長が「あまりに客が入らないからヤクザ映画をやめよう」と、ヤクザ映画の撤退が指示され、「当たらないもの、赤字を生むものは作らぬよう」と至極当然の指示が出た。ヤクザ映画は一定のファンを持ち、ビデオの売上げも良いため、やめるやめるといいながら年1~2本の製作が続けられていたが、1993年に公開された『継承盃』『極東黒社会』『修羅場の人間学』といった作品で客が入ることなく惨憺たる結果に終わり、特に『修羅場の人間学』は記録的な不入りを記録した。事態を憂慮した岡田の発言に一部のマスメディアが「東映がヤクザ路線撤退」と報道し、騒ぎに火が点いた。高岩淡東映社長も「これは岡田会長の励ましの言葉。公式発言ではない」と否定したが「努力してダメなら決断しなければならない」と話し事態の深刻さを物語った。
これらの発言を受け、1994年1月26日にクランクインしたのが本作で、京都撮影所では「これが最後かも知れない」と危機感を強め、本社サイドも「これがコケたらヤクザ映画をやめる」と言明したため、「日本映画最大の路線が30年でピリオドを打つか!?」などとマスメディアが書き立て、日本のマスメディアだけではなく、『ワシントンポスト』までが報道するほど騒ぎが拡大した。関根忠郎東映宣伝部チーフ・プロデューサー率いる宣伝チームは、この騒ぎを逆手にとって《仁義が生きて帰ってきた。ヤクザ30年、男の決算》などと「最後のヤクザ映画」を押し出すキャッチコピーで売り込む抜け目なさで、出演者も「この作品を最後のヤクザ映画にしてはならじ!」並々ならぬ意気込みで取り組んだ。
松方が『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演中で撮影クルーが松方の姿を追った。松方は大人気で、ロケで松方を見ると見物人が皆笑い、中島貞夫は「ヤクザ映画をやるには辛い」と話した。「最後のヤクザ映画」と吹聴したため、菅原文太や梅宮辰夫、山城新伍が頼んでないのに「出る」と出演した。
5億円。
配収4億円以下なら、ヤクザ映画から撤退と会社の方針を明らかにしたが、配収2億円にとどまり惨敗した。松方も頑張って前売り券を売ったがダメだった。
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