![八栄鈴 八栄鈴](/modules/owlapps_apps/img/errorimg.png)
青銅製の鈴で、大小2つある。大は高さ24cm、横18.5cmで、鈴の直径は7cm(1個)と5cm(2個)。小は高さ17cm、横10cmで、鈴の径4cm(1個)と3cm(2個)。鈴の表面には宝相華文(唐草模様の一種)に似た毛彫りが施されていることから平安時代の作と推定されている。神楽舞に使われている鈴よりもはるかに重く、音も重厚である。
古くは他の神宝(真澄鏡など)とともに上社前宮(茅野市)境内にある
かつては上社の
伝承によると、諏訪上社の神宝は祭神である諏訪明神(建御名方神)の所持品である。
宝治3年(1249年)に書かれたと言われている『諏訪信重解状』によると、神宝(鏡・鈴・唐鞍・轡)を持参した諏訪明神は守屋山に天降り、先住の守屋大臣(洩矢神)の領地を手に入れようとした。
一方で、諏訪明神を天竺の王とする中世の説話によると、逆臣が王に対して反乱を起こした時、王が鈴を鳴らして8回天に身の潔白を訴えると四天王が反乱軍を成敗した。
鎌倉時代末期に書かれた『陬波私注』にも「八叫鈴」が諏訪明神が天竺から携えた神宝の一つと数えられている。
『信重解状』に見られる明神降臨神話と瓊々杵尊(天孫降臨)や饒速日命の天降り神話との類似点が指摘されている。明治時代まで諏訪上社の大祝が諏訪明神の神体、つまり生き神と見なされたことも天皇が現人神として神聖視されたこととも似ている。
鏡・鈴・馬具を持参して降臨する諏訪明神が、古墳時代末期に横穴石室古墳文化と飼馬技術を諏訪地方に持ってきた人々(諏訪上社の神氏と諏訪下社の金刺氏の祖先か)の姿と重なるという見解があるが、現存する上社の神宝のほとんどが奈良・平安時代のもので、時代が合わない。また、『信重解状』の内容や形式に不可解な点が多いため、宝治3年に書かれたものではなく後世の偽作とする見解もある。
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