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松平武成


松平武成


松平 武成(まつだいら たけなり/たけしげ)は、江戸時代後期の大名。石見国浜田藩3代藩主。官位は従五位下・右近衛将監。越智松平家7代。

略歴

美濃国高須藩主・松平義建の三男として誕生。

天保13年(1842年)、先代藩主の松平武揚(血統上は母方の従弟にあたる)が早世したため、その跡を継ぐ。藩財政再建のために天保14年(1843年)より倹約令を出し、さらに弘化3年(1846年)には横井小楠の意見を用いて山林の藩経営化や瓦・陶器の製造、養蚕業や製鉄業、製糸業、鉱山開発などの産業奨励に尽力することで藩政再建を目指したが、弘化4年(1847年)9月20日に23歳で早世した。跡を養嗣子(武揚と同じく母方の従弟にあたる)の武聰が継いだ。法号は鋭岳大憲院。墓所は東京都荒川区東日暮里の善性寺。

系譜

  • 父:松平義建(1800-1862)
  • 母:規姫 - 徳川治紀五女
  • 養父:松平武揚(1827-1842)
  • 正室:千重姫(1821-1860) - 徳川斉匡十五女
  • 養子
    • 男子:松平武聰(1842-1882) - 徳川斉昭の十男

系図

実際の親子関係と婚姻関係のみを示す。


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 松平武成 by Wikipedia (Historical)