Aller au contenu principal

屋代正国


屋代正国


屋代 正国(やしろ まさくに)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。村上氏、甲斐武田氏の家臣。

略歴

屋代氏は信濃国埴科郡屋代郷を領していた国人で、信濃村上氏の庶流。

永正17年(1520年)、屋代正重の子として誕生。村上義清の重臣として武田信玄の信濃侵攻に対抗し、天文17年(1548年)の上田原の戦いでは嫡男・基綱を喪う。

天文22年(1553年)に村上氏から離反して4月5日に武田氏に降伏、塩崎六郎次郎と共にその家臣となった。屋代氏の離反は村上氏に相当影響したらしく、離反の数日後である9日に村上義清は葛尾城を放棄している。武田氏からは当初雨宮(現・千曲市)を宛がわれたが、8月8日に雨宮の替地として新砥(同前)及び雨宮のうち大下条・小下条を与えられた。

永禄10年(1567年)には『下之郷起請文』を取次である春日虎綱に提出した。

後継がいなかったため弟・室賀満正の次男・正長を養子に迎えたが、天正3年(1575年)の長篠の戦いで正長は戦死してしまう。その後屋代氏の家督は満正の四男・秀正が継いだ。

没年は武田家が織田信長により滅ぼされた天正10年(1582年)と言われているが、永禄4年(1561年)の第四次川中島の戦いで戦死したとする説もある。

脚注

参考文献

  • 柴辻俊六、平山優、黒田基樹、丸島和洋『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 屋代正国 by Wikipedia (Historical)