新城市(しんしろし)は、愛知県東部の東三河地方にある市。
豊橋市や豊川市の北にあり、旧設楽郡の玄関口にあたる。2005年10月1日に、南設楽郡鳳来町・作手村と新設合併し、愛知県内では豊田市に次いで2番目に広い面積を有する自治体である。
愛知県の東部、豊橋平野の北端に位置する。本宮山などの山々に囲まれており、市の中央に豊川が流れる。
愛知県の市の中では弥富市に次いで少ない。合併前は最少であったが合併後に一時高浜市や岩倉市を抜いていた。しかしその後は減少が続いている。
古くから人の活動が見られ、建長寺等から旧石器時代の石器も発掘されている。平安時代、設楽荘、宇利荘ができる。室町時代に、富永直郷が野田館を拠点に一帯を支配をするようになり、富永荘と呼ばれるようになる。作手では、上野国(群馬県)から来た奥平貞俊が亀山城を築いた。
戦国時代、山家三方衆の奥平氏や菅沼氏が、亀山城や長篠城を拠点に支配した。戦国期の1561年(永禄4年)6月29日、松平元康が菅沼定氏に与えた判物写に「新城・田嶺・武節三所……一所城代可申付之事」とある(譜牒余録/岡崎市史6)。1574年(天正2年)11月の永住寺追鐘銘には「三州設楽郡新城村」と見える(古鐘銘集成)。同9年3月7日の竜沢寺勧化帳写によれば、「三州新代」の英寿寺は竜沢寺へ1貫文勧進している(竜沢寺文書/福井県史資料編4)となっており、新城市HPに記載される由来以前に、新城と呼ばれている。
1571年(元亀2年)、武田信玄により、徳川家康攻略のための拠点として古宮城が築かれる。1573年(元亀4年)には野田城の戦いで菅沼氏の野田城が武田信玄に奪われた。この頃、武田氏傘下だった亀山城の奥平氏が、信玄の死を確信して離反し徳川家康の側に移ったとされる。信玄の死後、長篠城は徳川家康に奪われ、奥平信昌が入った。1575年(天正3年)の長篠の戦いでは、織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼軍を破った。1576年(天正4年)、奥平信昌が、長篠の戦いで損傷した長篠城を廃城し、新城城(現在の新城小学校周辺)に移転築城した。
江戸時代においては市域の北部(旧設楽郡)は主に交代寄合菅沼氏の領地や作手藩、市域の南部(旧八名郡)は、主に定府大名安部氏の武蔵国岡部藩の領地であった。新城は伊那街道を下ってきた馬による陸運と豊川を上ってきた海運が接合する場となり、そのさまは「山湊馬浪(さんそうばろう)」と称された。1868年(慶応4年)明治新政府方についた安部氏は、陣屋を当時の半原村(現新城市富岡)に移して、半原藩を発足させたが、すぐに版籍奉還となった。1871年(明治4年)の廃藩置県では、半原村に半原藩改め半原県の県庁が置かれたが、額田県との合併を経て愛知県に合併された。
明治、大正時代は、南設楽郡役所が新城町(新城駅周辺)、八名郡役所が富岡村(1906年に合併により八名村)に置かれ、2つの郡の中枢地となった。大正の郡制廃止後、太平洋戦争中、南設楽郡新城町に南設楽郡と八名郡を管轄する八楽(はちらく)地方事務所が置かれ、南設楽郡と八名郡は新城町に中枢が統一された。
市制40周年を迎えた1998年に、新城市の呼びかけで、世界各地の「新しい城」という意味の名をもつ地方都市の代表が新城市に集まり「世界新城サミット」が開催された。これを契機として各都市間の市民交流も行われた。サミットは隔年で開催されていたが、2008年の第6回サミットが最後となった。イギリス連合王国のニューカッスル・アポン・タインが中心となって活動している「世界新城アライアンス加盟都市」に加盟している。
2005年に開催された愛知万博では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われ、名古屋市を除く愛知県内の市町村は120の万博公式参加国をそれぞれフレンドシップ相手国として迎え入れた。
豊川にそって平地が広がり川沿いに田や畑が開かれている。農業生産額でみると、鶏(採卵用)が多く、続いて野菜・米・果物の順になっている。また、新城市で生産された茶は「三河しんしろ茶」として市場に出回っている。新城市八名地区で作られるさといもに「八名丸」というものがあり、名古屋や豊橋に出荷されている。
旧新城市域では戦後になって工業団地を多数造成し、農業中心の産業構造から転換して急成長した。1959年には市議会で工場誘致条例を制定し、愛知県の協力を得て条件の整った工業団地を造成した。
旧新城市部はJR飯田線新城駅周辺、旧鳳来町部は三河大野駅周辺を中心に商店街が形成されていたが、近年は国道151号線新城バイパス沿いに多くの店舗が進出している。
2010年からは毎月第4日曜日の午前中、新城中央通り(旧国道151号)に軽トラックによる特産品の即席販売市「しんしろのんほいルロット」が開催されており、開催日には買い物客で賑わう。「ルロット」とはタヒチ島・パペーテにある軽トラックによる屋台レストラン広場のこと。
NHK名古屋放送局と東海ラジオ放送、CBCラジオが市内各所に中継局を設置している。
1999年には新城市が用地を造成して提供する公設民営方式によって、学校法人尾張学園の愛知新城大谷大学短期大学部が開学した。2004年には4年制大学の愛知新城大谷大学も開学したが、2009年度を最後に募集を停止し、2013年3月に閉学した。
未成の一般県道が多い中、新城バイパスは整備が進んでいる。 2016年2月13日、市北部に新東名高速道路が開通し、市内八束穂に新城ICが設置された。市内最大の温泉郷「湯谷温泉」へのアクセスの向上が期待される。また同ICの西約2kmには長篠設楽原PAが設置された。 2012年3月4日に、市内名号に三遠南信自動車道の鳳来峡ICが供用開始した。新東名高速道路方面へのアクセスが可能である。 なお、市南部の富岡に東名高速道路が通っており、新城PAが位置するが、東名高速を利用する場合には、新東名の新城ICから静岡県経由もしくは豊川ICからの利用となる。
日本茶、鮎、鳳来牛などの名物がある。名物料理として五平餅がある。
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