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ブラバム・BT24


ブラバム・BT24


レプコ・ブラバム・BT24 (Repco Brabham BT24) は、ブラバムが開発したフォーミュラ1カー。1967年シーズンにブラバム・レーシングチームが使用した3台の車のうちの1つ。BT24のシャシーは3台のみが実戦に投入された。

ロン・トーラナックが設計したBT24はスペースフレームのシャシーにパワー不足のレプコV8エンジンを搭載し、いくらか時代遅れであった。ほぼ同時期にデビューしたロータス・49と比べると、ブラバムは時代遅れに見えたが、その高い信頼性はウサギとカメになぞらえると、ウサギのロータスに対するカメとなった。

ディフェンディングチャンピオンのジャック・ブラバムと、デニス・ハルムのドライブするBT24はシーズン3勝を挙げ(シーズンのもう1勝はBT20による)、ロータスのジム・クラークが挙げた4勝にはかなわなかった物の、2位6回、3位2回、4位と5位が1回とチームは容易にコンストラクターズタイトルを獲得した。ドライバーズタイトルはハルムがチームオーナーのブラバムに5ポイント差を付けて獲得した。

加えてBT24はジャック・ブラバムの手でノンタイトル戦3勝をあげ、その中には1967年オウルトン・パークインターナショナルゴールドカップも含まれた。

その後

翌1968年シーズンは2台のオリジナルシャシーが開幕戦の南アフリカに投入され、ブラバムとヨッヘン・リントがドライブした。しかし第2戦用の新型BT26が準備できたため、2台のBT24は南アフリカの地元チームに売却された。サム・ティングルとベイシル・ヴァン・ルーエンがその年の南アフリカF1選手権で3位と4位を記録した。ティングルは翌年の南アフリカグランプリにもBT24で出場し、8位となっている。その後彼のマシンは1970年1月までローカルイベントで使用され、一方ヴァン・ルーエンのマシンはゴードン・ヘンダーソンとアイバー・ロバーツが様々なレースで使用した。

3台目のBT24シャシーは1967年末に製作されたが、ブラバムチームで使用されたのは1968年の3レースのみだった。2戦はヨッヘン・リント、もう1戦はダン・ガーニーがドライブした。ドイツグランプリではクルト・アーレンスに貸与された。その後フランク・ウィリアムズが同車を購入、BT26と同様のウィングを装着、2.5リッターのコスワースDVWを搭載し1969年のタスマンシリーズに参戦した。ピアス・カレッジが全7戦で使用し、ニュージーランドのテレトンガ・パークで勝利した。そのほかには2位、3位、4位が1回、リタイアが3回となり、ランキング3位でシーズンを終えた。

ウィリアムズは1968年仕様の3.0リッターDFVに換装し、燃費の悪化に対応した追加の燃料タンクを装着したが、同車はプライベーターのシルビオ・モーザーが購入した。モーザーは1969年シーズンの7戦に参加し、最高位はワトキンズ・グレンでの6位であった。モーザーはまた、インターナショナルゴールドカップと、ヨーロッパヒルクライム選手権の2戦にも同車で参加した。

F1における全成績

(key) (斜体はファステストラップ)

各戦とも完走者上位6名に 9-6-4-3-2-1 ポイントが与えられたが、各チームの上位の車のみに与えられた。1967年と69年は前半6戦の内ベスト5戦と後半5戦の内ベスト4戦、1968年は前半6戦の内ベスト5戦と後半6戦の内ベスト5戦が有効ポイントとして計算された。
* 1967年は18ポイントがBT19とBT20によって獲得された。
** 1968年は4ポイントのみがBT24によって獲得された。
^ 1969年のブラバム・フォードの獲得ポイントはすべてブラバム・BT26によるものであった。

参照


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ブラバム・BT24 by Wikipedia (Historical)


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