FCSB(Fotbal Club FCSB (ルーマニア語発音: [fet͡ʃeseˌbe]))は、ルーマニアの首都ブカレストを本拠地とするサッカークラブ。以前はFCステアウア・ブカレスト(Fotbal Club Steaua București (ルーマニア語発音: [ˈste̯awa bukuˈreʃtʲ]))であったが、2017年4月から現在の名称となっている。
現在リーガ1(ルーマニア1部リーグ)に所属し、過去に26のリーグ、22のルーマニア・カップ、6つのルーマニアスーパーカップを獲得するなどルーマニア国内において最も成功したクラブである。 またUEFAチャンピオンズリーグの前身であるUEFAチャンピオンズカップを制した東欧勢初のクラブでもある。
クラブは1947年6月7日、ルーマニアの王室の数人の役員の主導により、ミハイ・ラスカル(ルーマニア国防相)の承認を受けて王立軍のクラブとして創設された。当初のクラブ名はASA ブカレスト(Asociția Sportivă a Armatei București)。また7つの部門(サッカーを含む)を擁する総合スポーツクラブでもあった。その後、政変が起こり共産主義政権が樹立した事で1948年にCSCA(Clubul Sportiv Central al Armatei)、1950年にCCA(Casa Centrală a Armetei)と改称された。
1961年にCSAステアウア・ブカレスト(Clubul Sportiv al Armatei „Steaua”)へ改称された。クラブの新しい名前「ステアウア」の由来はルーマニア語の星を意味する言葉であり、赤軍の象徴である赤い星から採用された(ルーマニア国防省の象徴。東欧の多くの軍所有のクラブの象徴でもある)。
1980年代にエメリック・イェネイとアンゲル・ヨルダネスクの指導の下で、印象的なチームを築き上げた。1986年5月7日にセビリアで行われたUEFAチャンピオンズカップ決勝においてFCバルセロナを下し、同タイトルを制した東欧初のクラブとなった。更に同年のUEFAスーパーカップにおいてディナモ・キエフを破り国際タイトル二冠を達成した。クラブはその後チャンピオンズカップにおいて1987-88にベスト4進出、1989年に準優勝する等国際試合において安定した力を維持した。ルーマニア国内においても4度のリーグ(1985-86、1986-87、1987-88、1988-89)と4度のカップ戦(1984-85、1986-87、1987-88、1988-89)を制した。また1986年6月から1989年9月に掛けてリーグ戦104試合無敗記録も作り上げた。
1989年のルーマニア革命によって共産主義政権が崩壊した事で、軍は旧政権との全ての繋がりを断つ事を決定し、1991年に象徴を従来の「星」のデザインから「鷲」がデザインされたものへ変更されたが、2003年に1974年から1991年まで使用したエンブレムに戻した。
また革命後は開かれた自由市場を国家にもたらし、それに伴いゲオルゲ・ハジら有力選手達は西側のクラブに移籍していった。これ以降ヨーロッパのカップ戦においては苦戦を続けているが、国内では安定した地位を維持し続けている。現在のオーナー、ゲオルゲ・ベカリは不動産業で蓄財した資産家・政治家であり、ステアウアへの多額の投資を行う一方、頻繁に監督を解任している。
1998年にサッカー部門はヨーロッパサッカー連盟(UEFA)の規則に従う為にCSAステアウアから独立してFCステアウア・ブカレスト(Fotbal Club Steaua)に改称し、AFC ステアウア・ブカレストと呼ばれる非営利団体によって所有される事になった。それと共にかつての「星」のデザインされた象徴も復活させた。現在、軍との直接的な繋がりは、ルーマニア国防省が所有する「Stadionul Ghencea」をホームスタジアムとして使用するだけである。
2014-15シーズンはリーガ1、クパ・ロムニエイ、クパ・リギーで優勝し、史上初の国内3冠を達成した。
ステアウアの名称の優先使用権を持つ軍からチーム名の変更を求められ、2017年4月にチーム名をFCSBへ変更している。
クラブ創設時にはルーマニアの三色旗を模した黄色と赤のシャツに青いパンツを着用していたが、王立軍のクラブから国軍のクラブへと移行した際に黄色だけは除外され青と赤が公式色として残った。現在は赤いシャツに青いパンツ、赤いソックスの組み合わせが基本であるが他のパターンもある。
ホームスタジアムはStadionul Steaua(ゲンチェア)を使用する。1974年4月9日に開場されたサッカー専用スタジアムで、当初の収容能力は30,000人であった。 1991年にスタジアムは改修工事を行い、ベンチシートから個席へと変更された。これにより収容能力は28,139人に減少した。またその際に夜間照明システムやVIP専用ボックスも設置された。
ルーマニア代表もこのスタジアムを使用し、1977年3月にトルコ代表との試合が行われて以来59回の国際試合が行われた。
クラブの最も重要な試合はディナモ・ブカレストとの試合である。両クラブはルーマニアにおいて最も成功したサッカークラブであり、この一戦はマレレ・ダービー(グレート・ダービー)と呼ばれ人気を得ているが、サポーター同士の衝突もたびたび起きている。またルーマニア軍(ステアウアを支援)と内務省(ディナモを支援)の代理戦争でもある。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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