くずは国際トーナメント(くずはこくさいトーナメント)は、1965年から1990年まで行われていた日本プロゴルフ協会(JPGA)公認の男子プロゴルフトーナメントの一つである。
別名は「くずはトーナメント」。
1965年に大阪府枚方市にある樟葉パブリック・ゴルフ・コース初代社長の今田英作の発案によりスタートした。第1回は「関西有名プロゴルフ競技」の名称で9月1日に開催され、パブリック・プレーヤーにトップ選手の技術を見てもらう趣旨があり、1966年の第2回までは観戦料が無料となっていた。
1968年の第3回より「全日本トッププロ招待トーナメント」に名称を変更し、1日に36ホールを回る方式とした。この時から産経新聞系の各紙(サンケイスポーツ、大阪新聞)も主催者に加わっており、1971年の第7回は初めて外国人選手が4人参加。1972年の第8回大会「くずは国際トーナメント」に名称を変更し、同年の第8回と1973年の第9回は1日27ホールで実施された。
1974年の第10回より2日間・36ホール制となり、同年から1978年の第14回までは関西テレビで中継され、1977年と1978年の放送では杉本清が実況を担当していた。1979年は中継が無かったが、1980年と1981年はKBS京都で放送され、1982年の第18回からはテレビ大阪で中継されていた。
1985年には入江勉が11アンダーの「59」を記録。日本ツアーで初めて50台のスコアを出して、デビッド・イシイ(アメリカ)を抑えて優勝 。2日間の内容は、1日目が9バーディ、1イーグルの11アンダーで回り、2日目もパープレーにまとめてのものであった。快晴で風速1.1mという絶好のコンディションで、初日の2番パー5で決めた5mのイーグルパットが59への始まりとなり、3番で3m、6番で6m、7番1.5m、9番では4mのバーディーパットを沈めてアウトは6アンダーの29であった。インでは10番から12、14、16番とひとホールおきにバーディーを奪って迎えた18番パー5は4mに3オンし、このパットをきっちり沈めて日本のプロトーナメント史上初めての59が達成された。記者に囲まれた入江はタバコを持つ手が小刻みに震え、観戦していた宮本留吉も「初めてや、50台のゴルフをはじめて見た。入江、カードはちゃんと保存しておけ」と興奮で声を震わせた。4打のリードで翌日の最終日に臨んだ入江はパープレーの70にまとめて逃げ切った。アメリカツアーでは1977年のダニー・トーマスメンフィスクラシックで2日目にアル・ガイバーガーがコロニアルCCで59をマークしており、入江が世界で2人目であった。廣野GCにあるJGAゴルフミュージアムには、当時のスコアカードと英字新聞の切り抜きが展示されている。
日本ゴルフ界の成長・発展と共に、当初の目的は達成したとして、1990年の第26回をもって大会を終了した。
※太字は日本プロゴルフ協会公認男子ゴルフツアートーナメント
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