![日本とポーランドの関係 日本とポーランドの関係](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/01/Japan_Poland_Locator.png/400px-Japan_Poland_Locator.png)
日本とポーランドの関係(にほんとポーランドのかんけい、ポーランド語: Stosunki między Japonią a Polską、英語: Relations between Japan and Poland)では、日本とポーランドの関係について概説する。ポーランドの漢字表記「波蘭」から日波関係とも。
日本人が初めてポーランドを初めて訪れたのは1892年2月であり、福島安正少佐(1852年 - 1919年)が訪れている。福島少佐はユーラシア大陸を488日間かけて横断する途中ポーランドを通過し、少佐はポーランドに関し下の歌を詠んでいる。
1904年には日本にJ・ピウスツキ、R・ドモフスキという2人の政治指導者が来日している。
ロシア革命、ドイツ革命の混乱期、ポーランド第二共和国の元首は独裁的なユゼフ・ピウスツキとなった。1919年には第一次世界大戦が終結し、同年7月には、ワルシャワ大学に初めてボクダン・リヒテルにより日本語講座が開設された。
1920年、日本政府・日本赤十字社はウラジオストクから765人のポーランド人シベリア孤児を救済している。
1922年に皇族摂政となった昭和天皇は台湾事業公債、関東州事業公債を発行するとともに、ポーランドとの間に日本国波蘭国間通商航海条約を締結し、物資の輸入に務めた。日波協会(代表・志摩亮平)も組織されていた。
戦後、日本はポーランド人民共和国を承認し、日本とポーランド人民共和国との正常な関係を回復するための条約が調印された。
1967年には三木武夫外相がポーランドを訪れたのを機に日本・ポーランド経済混合委員会が発足した。1987年1月、中曽根康弘が日本の首相として初めて公式訪問し、同年6月に国家評議会議長ヤルゼルスキが日本を訪れた。1990年1月には首相海部俊樹がハンガリーとともにポーランドを訪問した。2008年にレフ・カチンスキ大統領が訪日した。
2009年には国交樹立90周年を迎え2019年は、100周年であった。
ポーランドと日本の間の経済貿易関係は大いに発展している。ポーランドには約300社の日本企業がある。
ポーランドでは、19世紀末になるとフランスなどの影響を受け、文学、美術、民俗学などを中心に日本への関心が芽生え、日露戦争後には盛んになった。
ポーランドに移住する日本人ピアニストも多く、特にショパン国際ピアノコンクールへの参加者は、年々増えている。
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