クルゾーネ(伊: Clusone ( 音声ファイル))は、イタリア共和国ロンバルディア州ベルガモ県にある、人口約8,500人の基礎自治体(コムーネ)。
セーリオ川上流地域に位置する都市で、ヴァル・セリアーナ地域の行政中心地である。
イタリア語以外では以下の名称を持つ。
ベルガモ県北東部、ヴァル・セリアーナのコムーネ。県都ベルガモから北東へ30km、ブレシアから北北西へ44km、州都ミラノから北東へ76kmの距離にある。
隣接するコムーネは以下の通り。
セーリオ川は市域の西端を流れる。
イタリアの地震リスク階級 (it) では、3 に分類される 。
都市の起源は古く、紀元前1300年頃にオロビ人 (Orobi) が居住地を築いたのにさかのぼると考えられる。
ローマ時代には重要な居住地が作られた。村はこの地域の重要な中心地となり、要塞の建設も行われた。この都市の名前は、おそらく「山に囲まれた空間」を示すラテン語 "clausus" から来ている。
クルゾーネに言及した最初の文書は、774年のもので、カール大帝によって要塞(Rocca)の中心部をサンマルティーノ・ディ・トゥール修道院の修道士に与える内容のものである。この要塞は、中世の時代にはかなり大きく発展し、防御目的のために城壁や塔を備えた本格的な城塞となった。
ミラノの貴族アリプランディ家の分家で、ファンツァーゴ(Fanzago)の姓を名乗った一族は、14世紀末にクルゾーネに移った。
その後、ヴェネツィア共和国の領土に含まれると、クルゾーネも富を集積し、商業的・文化的・芸術的に全盛期を迎えた。
クルゾーネは、1797年のヴェネツィア共和国の消滅(カンポ・フォルミオ条約)までその運命を分かち合い、その後はフランスの衛星国であるチザルピーナ共和国の一部となった。1801年11月12日、過去の栄光を連想させる建物が多くあることから、ナポレオンの決定により都市 (Città) の称号が授与された。
チザルピーナ共和国はその後イタリア共和国・イタリア王国へと移行するが、ナポレオンの没落に伴いその領土はオーストリア帝国に配分された。クルゾーネはロンバルド=ヴェネト王国に含まれ、ベルガモ県 (it:Provincia di Bergamo (Lombardo-Veneto)) 管下の一地区の首府となった。
1859年、チューリッヒ条約によりロンバルディアはサルデーニャ王国(1861年よりイタリア王国)が領有することになった。クルゾーネには、ベルガモ県に3つ置かれた郡 (it:Circondario (Regno d'Italia)) のひとつ、クルゾーネ郡 (it:Circondario di Clusone) の郡庁が置かれた。クルゾーネ郡は1926年に廃止された。
1957年5月15日、イタリア共和国によって都市 (Città) の称号が再確認された。
広域行政組織である山岳部共同体「ヴァッレ・セリアーナ山岳部共同体」 (it:Comunità montana della Valle Seriana) の事務所所在地である。「ヴァッレ・セリアーナ山岳部共同体」には以下のコムーネが含まれる(アルファベット順)。
もともとはヴァッレ・セリアーナ上流部 (it:Comunità montana della Valle Seriana Superiore) と下流部の2つの山岳共同体があったが、2009年に合併した。
2017年現在、市内に鉄道は走っていないが、かつてはヴァッレ・セリアーナ鉄道 (it:Ferrovia della Valle Seriana) が、ベルガモとクルゾーネを結んでいた。クルゾーネ駅 (it:Stazione di Clusone) は1911年に開業したが、1967年に廃止された。
このほか、山岳救助および民間防衛のためのヘリポート、クルゾーネ・ヘリポート (it:Eliporto di Clusone) がある。
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