![カルメン・マウラ カルメン・マウラ](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/73/%28Carmen_Maura%29_Entrega_de_la_Medalla_internacional_de_las_Artes_de_la_Comunidad_de_Madrid_a_Carmen_Maura_%2833552184358%29_%28cropped%29.jpg/400px-%28Carmen_Maura%29_Entrega_de_la_Medalla_internacional_de_las_Artes_de_la_Comunidad_de_Madrid_a_Carmen_Maura_%2833552184358%29_%28cropped%29.jpg)
カルメン・マウラ(スペイン語: Carmen Maura, 1945年9月15日 - )は、スペイン・マドリード出身の女優。1989年、1991年、2000年、2007年の4度ゴヤ賞を受賞している。母語であるスペイン語のほかに、フランス語を流暢に話し、英語も話すことができる。
1945年にマドリードに生まれた。マドリードのアレンサーナ宮殿に住んでいたフエンテ伯ヌエバ・デ・アレンサーナは母方の曽祖父であり、同じく母方の曽祖父には芸術家のバルトロメ・マウラがいる。1903年から1922年まで5度にわたってスペイン首相を務めたアントニオ・マウラはバルトロメの兄弟である。マウラはフランス・パリのエコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)で哲学と文学を学んだ。1964年には法曹のフランシスコ・フォルテサと結婚し、一男一女を儲けているが、1970年に離婚した。当初はキャバレー歌手をしていたが、1970年に『El hombre oculto』で初めて映画に出演した。1977年には『Tigres de papel』で主要な役割を演じた。ドラマ映画だけではなくコメディ映画の役もこなし、1984年の『Sal gorda』、1985年の『Sé infiel y no mires con quién』、1986年の『Tata mía』などに出演した。
1980年には初めてペドロ・アルモドバル監督の『Pepi, Luci, Bom y otras chicas del montón』に出演。1980年代には5本のアルモドバル作品に出演しており、1988年の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』ではヨーロッパ映画賞の女優賞やゴヤ賞の主演女優賞(初)を受賞した。『神経衰弱ぎりぎりの女たち』以後には10年以上もアルモドバル作品から遠ざかったが、2006年には『ボルベール〈帰郷〉』で再びアルモドバル作品に出演した。2006年のカンヌ国際映画祭ではこの作品に出演した女優6人がそろって女優賞を受賞している。
1987年の『欲望の法則』ではトランスジェンダーの役を演じたことでゲイのアイコンとなった。1989年のアメリカ映画『ローズ家の戦争』ではメイド役をオファーされていたが、最終的にはドイツ人女優のマリアンネ・ゼーゲブレヒトがメイド役を演じている。1990年には『歌姫カルメーラ』で2度目のゴヤ賞主演女優賞を受賞した。2000年にはアレックス・デ・ラ・イグレシア監督の『みんなのしあわせ』で3度目のゴヤ賞主演女優賞を受賞した。2010年にはフランスのコメディ映画『屋根裏部屋のマリアたち』に出演し、2011年の第37回セザール賞で助演女優賞を受賞した。2013年、サン・セバスティアン国際映画祭でドノスティア賞(功労賞)を受賞した。
出典はインターネット・ムービー・データベース(IMDb)
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