![愛宕山鉄道 愛宕山鉄道](/modules/owlapps_apps/img/errorimg.png)
愛宕山鉄道(あたごさんてつどう)は、現在の京都府京都市右京区の嵐山駅から清滝駅までの普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索鉄道)を第二次世界大戦前に運営していた鉄道事業者。
京阪電気鉄道と京都電燈の共同出資会社であった。
愛宕山の愛宕神社へ向かう参詣路線として建設され、あわせて同社の手により山麓の清滝に清滝遊園地が、また愛宕山にホテルや飛行塔のある愛宕山遊園地、スキー場、テント村などが設置されて賑わった。しかし、世界恐慌の影響で業績が下降したため、京阪電気鉄道と京都電燈の手で再建が試みられた。その後、戦時中に全線が不要不急線に指定され、戦中時の軍需物質不足に伴いレールを軍に供出したことから廃線となり、戦後も復活することはなかった。廃線と同時に、ホテルなどの観光施設もすべて閉鎖され復活することなく自然に還ることとなり、愛宕山地区のリゾート施設は幻と消えてしまった。
戦後、親会社であった京阪神急行電鉄や京福電気鉄道に再建や合併を申し入れたが、両社とも戦後復興に手一杯で支援はできなかった。このため再建を断念し会社を解散している。その後1967年になって「愛宕登山鉄道」という別グループにより鋼索線の再建が発表されたが、実現することはなかった。
1941年当時
平坦線
鋼索線
1942年9月1日改正当時
清滝トンネルは戦時下三菱重工業の分工場として航空機の部品工場となっていた。また、鋼索線の機材は傘松ケーブル(天橋立鋼索鉄道)などに転用された。
1941年当時
嵐山駅は京都電灯本線(現、京福電気鉄道嵐山本線)の嵐山駅に併設されていた。現在の1番線に発着していた。
清滝駅は、清滝トンネルを出てすぐのところにあり、清滝川駅には、徒歩で、清滝川に架かる橋を渡る必要があった。
愛宕駅から愛宕神社までは距離があったため、索道(ロープウェイ)の建設も計画されていたが実現しなかった。
1941年当時
平坦線の跡地は清滝道(京都府道29号宇多野嵐山山田線、京都府道137号清滝鳥居本線)として道路に改修され、現在は京都バス嵐山営業所のバス路線が運行されている。また平坦線の遺構として単線トンネルの清滝トンネルが残存しており、片側交互通行で道路に転用されている。鳥居本駅跡には、1963年頃までホーム跡が残っていたが、嵐山高雄パークウェイ建設の頃、道路拡幅で撤去された。また、JR山陰本線を越える橋梁の土台(橋台)も残っていたが、山陰本線複線電化の折に、これも撤去された。
鋼索線の遺構も清滝川駅跡地や線路跡、愛宕駅の駅舎建物などが残存しているが、愛宕駅舎は崩壊しかけており、また6つあるトンネルのうち2つは内部が崩壊していて、非常に危険な状態になっている。橋梁などその他のコンクリート製構造物も風化が進んでおり崩壊の危険がある。中には片側が完全に崩壊している(レールのセメントは現存)ものもある。
鋼索線の廃線跡を愛宕神社への上級者向け登山道の一つとして通行する者がいるが、一部区間は崩壊などの理由で立ち入り禁止となっている。
1937年公開の日独合作映画『新しき土』は、愛宕山鉄道で撮影が行われている。
種村直樹は著書の中で、1992年ごろに「愛宕山ケーブル」という会社の電話番号が京都市内のタウンページに掲載されていたことを報告している。前述の通り愛宕山鉄道は1959年に解散しているため、「愛宕山ケーブル」と愛宕山鉄道とは直接のつながりはないものと考えられるが、前述の1967年に鋼索線を再建しようとしていた別グループの会社なのかどうかは不明である。
また、1960年代に全日本モノレール電鉄が旧平坦線に並行してモノレールを建設する計画を立てたが、結局実現することはなかった。
2017年11月22日のフジテレビ「世界の何だコレ⁉ミステリー〜見逃せない衝撃シーン! 謎を直撃3時間SP〜」(19時 - 21時54分放送)内で、鋼索線の愛宕駅の現状や廃線状況が放送された。
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