カリーノグループ(英称:CARINO GROUP)は、熊本県熊本市中央区に本拠地を置く不動産会社グループである。前身はかつての九州地区最大手スーパーマーケットチェーンの中核企業、株式会社「寿屋」(ことぶきや)である。
持株会社の株式会社カリーノホールディングスの他、以下の企業でグループを構成している。
所有物件数は120物件である。旧寿屋店舗80店を賃貸物件として運営している。
寿崎スエ子が大分県佐伯市大手町に開業した化粧品店を発祥とする。税務署を退官して家業を継いだ息子の寿崎肇が跡を継ぎ法人化すると、次第に衣料品や日用品・食品などと品揃えを増やし、九州を代表する総合スーパーマーケットチェーンへと成長した。
出店地域は創業地である大分や、その後本社を移転した熊本を初めとする中・南九州が中心であったが、1970年代後半に入ると福岡県など北部九州への出店を加速する。この頃は同じく九州を地盤とするユニードとライバル関係にあり、ユニードがダイエーグループ入りしたときには対抗心を露わにして『合併おめでとうセール』を開催している。ユニードとの間には、本州勢の九州進出へ対抗すべく合併話もあったと言われるが、実現には至らなかった。また、ベスト電器とも家電関連において統合や提携を模索していたが、こちらも実現には至っていない。1980年代前半に入るとこの出店攻勢が裏目に出て、1982年(昭和57年)には不採算店の大量閉鎖に追い込まれている。同年には専務が逮捕された。
その後、バブル期に乗じて再び出店を加速。この頃に急成長を遂げ、最盛期には130店舗余を抱える九州を代表する小売グループとなった。その勢いを駆って九州外へも進出、「中国寿屋」を設立して山口県への出店を果たした。
しかし、バブル崩壊とともに売上が減少、新規出店に伴って増加していた借入金が経営を圧迫することとなる。1992年(平成4年)には早くもメインバンクである西日本銀行(現在の西日本シティ銀行)から社長を迎え、創業者一族は経営から締め出される結果となったが、この時の会社と創業家との確執は地元マスコミを賑わせることとなった。
銀行に経営が移った後も迷走は続く。福岡地区の旗艦店であったエレデ博多寿屋(呉服町)はテナント料値上げに耐えかね閉店を余儀なくされたが、博多での店舗維持にこだわった経営陣は、これに代わる大型店として、建設協力金等を含めた数十億円を投じ2001年(平成13年)4月28日にエレデ博多寿屋空港店として再出店する。この新店舗は博多の名を冠するものの、呉服町の旧店舗のような都心の回遊性が見込めない郊外型の立地であり、郊外型店舗としても既存の競合店に比べて規模や内容があまりにも貧弱であったことから、開店当初に予定していた売上の半分にも満たないほどの不振を極め、数ヵ月後に迫った経営破綻にも少なからず影響を与えた。
最末期には過半数の店舗が赤字に陥っていたとされる低落傾向は最後まで歯止めがかからず、2001年(平成13年)秋には同業のサンリブ(北九州市に本社を置く中堅スーパー)傘下に入るべく交渉したが、サンリブ側の交渉撤退によって協業は不調に終わり、この提携を前提とした債権放棄の道も閉ざされた。西日本銀行からの資金支援も打ち切られ、完全に資金繰りが行き詰まった同社はついに、2001年(平成13年)12月19日に熊本地裁へ民事再生手続の開始を申請した。
寿屋は不採算店舗が多くを占めていたため、マイカルのように会社全体へのスポンサーを得ることができず、再建は難航した。全店舗の一括譲渡を模索したが、スポンサー選定の遅れがそのまま取引先の信用不安を招き、商品調達力が著しく低下、各店舗の売場では目に見えて欠品が生じはじめた。このため、傘下スーパー全店舗の一時休業、従業員全員の解雇によって支出をカットし、引き続き支援企業を探したが、最終的に店舗ごとの個別譲渡へ方針を転換せざるを得なくなった。このような経緯から、営業再開は個別に譲渡先が決定した店舗から順に行われ、再開までに数ヶ月を要したほか、一時休業からそのまま閉店に追い込まれた店舗も少なくない。
譲渡先のうち、41店舗と最も多くの店舗を引き受けたイオンは、食品スーパーの受け皿となる新会社「マックスバリュ九州」を設立し、くらし館の屋号をそのままに35店舗の営業を再開させた。また、九州地区にGMSを展開していた系列の九州ジャスコ(現在のイオン九州)で寿屋5店舗を受け継ぎ、店名をジャスコと改め営業を再開させた。このときの営業権の評価額の解釈を巡って同社との間で訴訟にまで発展したが、その後、両社は和解に至っている。継承後、マックスバリュ九州は改装や移転などのタイミングでマックスバリュ・マックスバリュ エクスプレス・ザ・ビッグ エクスプレスに屋号変更しており、くらし館の屋号のままで営業している店舗は少なくなってきている。また、2014年(平成26年)9月にイオングループの一員となったレッドキャベツの店舗を2020年(令和2年)3月に引き継ぎ、マックスバリュ エクスプレスへ屋号変更した店舗もある。イオン九州はジャスコ3店舗が後に閉店となったが、残った菊陽店(2020年(令和2年)2月29日閉店)と時津店はイオングループ内のGMS改革により2011年(平成23年)3月に店舗ブランドがイオンに変更し、マックスバリュ九州のくらし館から別の屋号に再変更した店舗の一部を居抜き出店して新業態のワイドマート ドラッグ&フードとして開業している。なお、マックスバリュ九州は2020年(令和2年)9月1日付でイオン九州へ吸収合併されている。
イオン以外に譲渡された寿屋店舗もすべて譲渡先の名を冠する店舗となったため、寿屋の屋号は消滅した。
自社での店舗運営を断念した寿屋は、保有する店舗物件を他社へ賃貸しその収益を10年に分割して弁済金にあてる再建計画を認められ、小売業から不動産賃貸業へ転換した。この再建計画は、同社の出店が店舗の自社保有を中心に行われていたことを物語っており、現在主流の建て貸し(土地所有者が店舗を建設し、出店者がそれを一定期間賃借する)でリスク分散を図る小売業界の中にあって、保有資産の処分すら難しい現状を如実に示している。
同社はこのほか、旧寿屋店舗のうち2店舗(旧下通寿屋、旧宮崎寿屋)をテナントビル「カリーノ」に改装し、その運営も行っている。カリーノはもともと旧子会社のぶーけが鹿児島市天文館で運営していたもので、天文館も含め3店舗を運営するカリーノ事業を経営の中心に据えたことに伴い、商号も寿屋から2003年(平成25年)に現商号であるカリーノに改めた。
カリーノは当初10年間かけた弁済を予定していたが、地価下落等に伴い遅れが生じており計画より1年遅れた2013年(平成25年)8月20日に会社解散の決議、同年9月に特別清算を申請した。なお、不動産事業は関連会社のカリーノファシリティーズに譲渡され現在でも継続されている。
寿屋の労働組合として「寿屋労働組合」がある。
2008年3月、元従業員に対して有していた労働債務(国が立替払いしたものを除く)について、最後の支払いが行われ、元従業員に対する弁済が終了した。
2008年5月、元組合員およびパート社員会の元会員(いずれも解雇時に在籍した者に限る)に対し、株式会社ハーモニック(新潟県三条市)発行の3万円相当(パート社員会会員は1万円相当)のカタログギフトが、過去に積み立てられた組合費の残金精算に代わって配られた。
ハローの一部店舗はフランチャイズにより運営されていた店舗である。
大隅半島の一部店舗は1994年に桜デパートから引継いだ店舗である。
業務提携店舗であったが、1998年1月より寿屋が営業賃借した。
なお、下記店舗は寿屋(ハロー)運営時代と異なり現在運営している企業の仕様に変更されている。
なお、関連会社の「ぶーけ」は九州地方以外にも中国・四国地方や台湾にも出店していた。また、1972年(昭和47年)までは神戸市に「神戸寿屋」も存在した。
他にも多数。
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