刈羽郡(かりわぐん)は、新潟県(越後国)の郡。ここでは前身にあたる三島郡(みしまぐん)についても記述する。
人口4,192人、面積26.27km²、人口密度160人/km²。(2024年6月1日、推計人口)
以下の1村を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1村のほか、以下の区域にあたる。
- 柏崎市の大部分(高柳町田代および青海川、笠島、小杉、吉尾、蕨野以西を除く)
- 長岡市の一部(小国町大貝を除く小国町各町・千谷沢)
歴史
古代から近世まで
刈羽郡の地域はかつては越中国古志郡に属していた。大宝2年(702年)に越後国に割譲され、平安時代に三島郡(みしまぐん)として古志郡から分離した。
その後、中世に古志郡からさらに山東郡(さんとうぐん、のち三島郡)が分離した頃から、三島郡(みしまぐん)は刈羽郡または苅羽郡と称するようになった。江戸時代初期に幕府は当郡の呼称を旧に復すると称して沼垂郡(ぬったりぐん)としたことがあった。しかし、沼垂郡は本来、越後国北部の阿賀野川以北を指した郡名であり、この改称は誤りであった。
近代以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は全域が桑名藩預地。●は寺社領、○は寺社除地が存在。(2町194村)
- 慶応4年
- 閏4月29日(1868年6月19日) - 戊辰戦争で新政府軍が桑名藩の陣屋がある柏崎を制圧。
- 7月27日(1868年9月13日) - 幕府領・旗本領・桑名藩領が柏崎県(第1次)の管轄となる。
- 明治元年11月5日(1868年12月18日) - 柏崎県を廃して新潟府に合併することが布達される(実行されず)。
- 明治2年
- 2月22日(1869年4月3日) - 再度柏崎県を廃止する布達が出され、越後府(第2次)に合併。
- 8月25日(1869年9月30日) - 旧・柏崎県の管轄地が柏崎県(第2次)の管轄となる。
- 明治3年10月22日(1870年11月15日) - 長岡藩が廃藩となり、領地が柏崎県の管轄となる。
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により藩領が椎谷県、上山県、与板県、高田県の管轄となる。
- 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により全域が柏崎県の管轄となる。
- 明治初年 - 山谷新田が堀村に、小池新田が半田村にそれぞれ合併されたとみられる。(2町192村)
- 明治6年(1873年)
- 6月10日 - 新潟県(第2次)の管轄となる。
- 北川原村・城川原村が合併して上条村となる。(2町191村)
- 明治8年(1875年) - 別山新田が別山村に合併。(2町190村)
- 明治9年(1876年)(2町187村)
- 原新田村が上原村に、大沼村が上高町村にそれぞれ合併。
- 西室西淵新田が井岡村に合併。
- 明治10年(1877年) - 善根村下組が善根村に、黒橋新田が橋場村に、南条新田が南条村に、桜井新田が下方村に、門出新田が門出村に、新保新田が新保村に、増沢村が原村に、島屋敷村・島新田が諏訪井村にそれぞれ合併。(2町178村)
- 明治12年(1879年)
- 4月9日 - 郡区町村編制法の新潟県での施行により行政区画としての刈羽郡が発足。郡役所を柏崎町に設置。
- 嶺村の所属郡が東頸城郡に、谷根村の所属郡が中頸城郡にそれぞれ変更。(2町176村)
- 明治13年(1881年) - 十日市村のうち日本海に面した十日市新田と称する地区が分村して大湊村となる。(2町177村)
- 明治14年(1882年)(2町180村)
- 長鳥村が東長鳥村・西長鳥村に分村。
- 北条村支村のうち今熊村・十日市村・鹿島村・赤尾村が分村して本条村となる。
- 北条村支村のうち上光安村・下光安村・深沢村・家則村・兼則村・笹川村が分村して東条村となる。
- 明治20年(1888年) - 飯塚新田が飯塚村に合併。(2町179村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により以下の町村が発足。特記以外は現・柏崎市。(4町67村)
- 明治30年(1897年)1月1日 - 新潟県で郡制を施行。
- 明治32年(1899年)4月14日 - 二田村・長谷村が合併し、改めて二田村が発足。(4町66村)
- 明治33年(1900年)2月23日 - 森光村・小栗山村が合併して森山村が発足。(4町65村)
- 明治34年(1901年)11月1日 - 下記の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(3町29村)
- 大正12年(1923年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正13年(1924年)8月10日 - 下宿村・大洲村が柏崎町に編入。(3町27村)
- 大正15年(1926年)
- 6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 9月10日 - 比角村が柏崎町に編入。(3町26村)
- 昭和3年(1928年)12月1日 - 枇杷島村が柏崎町に編入。(3町25村)
- 昭和15年(1940年)
- 4月1日 - 鯨波村が柏崎町に編入。(3町24村)
- 7月1日 - 柏崎町が市制施行して柏崎市となり、郡より離脱。(2町24村)
- 昭和23年(1948年)11月1日 - 西中通村の一部(悪田)が柏崎市に編入。
- 昭和24年(1949年)7月1日 - 中里村・横沢村・武石村・七日町村が合併して小国村が発足。(2町21村)
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 北鯖石村の一部(田塚・長浜・新田畑)が柏崎市に編入。
- 昭和27年(1952年)7月1日 - 上小国村が中魚沼郡仙田村の一部(現:長岡市小国町大貝)を編入。
- 昭和29年(1954年)
- 4月1日 - 西中通村が柏崎市に編入。(2町20村)
- 7月5日 - 荒浜村が柏崎市に編入。(2町19村)
- 昭和30年(1955年)
- 1月10日 - 山横沢村が小国村に編入。(2町18村)
- 2月1日 - 北鯖石村・田尻村・高田村が柏崎市に編入。(2町15村)
- 4月1日 - 石黒村が高柳村に編入(2町14村)
- 11月3日 - 高柳村が町制施行して高柳町となる。(3町13村)
- 昭和60年(1985年)
- 1月1日 - 高柳町が東頸城郡松代町の一部(清水の一部)を編入。
- 9月30日(4町7村)
- 上条村・野田村・鵜川村が合併して黒姫村が発足。
- 石地町・内郷村が合併して朝日町が発足。
- 小国村・上小国村が合併して小国町が発足。
- 中通村の一部(赤田町方・赤田北方・油田・黒川および飯塚の一部)が刈羽村、一部(吉井の一部)が北条村、残部が柏崎市に分割編入。
- 昭和32年(1957年)
- 4月1日 - 高浜町および黒姫村の一部(上条・宮之窪・山口・佐水・芋川・古町・小田山新田)が柏崎市に編入。(3町7村)
- 7月5日(3町4村)
- 中鯖石村・南鯖石村が柏崎市に編入。
- 千谷沢村の一部が小国町、残部が三島郡越路町に分割編入。
- 10月1日 - 北条村が町制施行して北条町となる。(4町3村)
- 昭和34年(1959年)4月10日(4町2村)
- 二田村の一部(井岡)が刈羽村に編入。
- 朝日町および二田村の残部が合併して西山町が発足。
- 昭和43年(1968年)11月1日 - 黒姫村が柏崎市に編入。(4町1村)
- 昭和46年(1971年)5月1日 - 北条町が柏崎市に編入。(3町1村)
- 昭和60年(1985年)4月1日 - 高柳町が東頸城郡松代町の一部(田代)を編入。
- 平成17年(2005年)
- 4月1日 - 小国町が長岡市に編入。(2町1村)
- 5月1日 - 高柳町・西山町が柏崎市に編入。(1村)
変遷表
行政
- 歴代郡長
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 15 新潟県、角川書店、1989年9月1日。ISBN 4040011503。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
外部リンク
『越佐地図教科書』(国立国会図書館デジタルコレクション)- 1896年(明治29年)1月出版。人口 111,055人、戸数20,349との記述あり
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