![更級郡 更級郡](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ca/Nagano_Sarashina-gun.png)
更級郡(さらしなぐん)は、長野県(信濃国)にあった郡。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
出土した木簡などから大宝律令以前はのちの埴科郡と共に「科野評(しなのこおり)」を構成していたと考えられる。長屋王家木簡では「讃信郡」との郡名表記もなされている。
神護景雲2年(768年)続日本紀に全国から善行のあった9人が朝廷から褒美を得た記述があり、4人までもを信濃の国の人が占めた。その内の建部大垣が当郡の人とされている。
日本最古の官社名を記した書である「延喜式神明帳」延長5年(927年)に武水別神社、波田(現治田神社)神社、佐良志奈神社,長谷神社、氷鉋斗売神社、日置神社、清水神社、当信神社、波閉科神社、布制神社等が記載されている。
和名類聚抄には郷について村上・当信・小谷・更級・清水・斗女・池・氷鉋と、現在では東筑摩郡に属している麻続(麻績)が当郡に含まれていたという記述がある。
聖徳太子の活躍を支えたとされる秦河勝の子の広国が当郡(現千曲市)桑原の地を所領とし、松本市波田町や小県郡長和町,飯山市木島平などに庶流を広げたが更級の嫡流は鎌倉時代に秦能俊が四国へ移り長宗我部氏を名乗ったと伝えられている。
また夏目漱石の祖先発祥の地とも伝えられ、現坂城町の村上氏の庶流が鎌倉時代に奥州征伐の功により夏目郷(石川荘か?)に地頭として配されて夏目氏を名乗ったのがルーツとされている。
千曲市八幡の社宮司遺跡から出土した9世紀前半の須恵器に付いていた漆紙文書(前半の時期は「守部」の表記が多く後半に「八千」の表記の物が夥しい)に、出挙と呼ばれる古代の貸借税制の内容が書かれていることから、郡衙の位置として比定されている。
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
1927年(昭和2年)5月12日 - 郡内一帯で遅霜。クワ、ブドウ、リンゴ畑に多くの被害。特に、クワの葉は多くが変色して郡内の養蚕業に大きな打撃を与えた。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou