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災害派遣(さいがいはけん)とは、地震、水害その他の自然災害、人命又は財産の保護のため必要がある災害や事故等の発生に際し、地方公共団体、消防、警察などの能力だけでは対処しきれない事態において陸海空自衛隊の部隊を派遣し、救助活動・予防活動などの救援活動を行うことである。自衛隊において、防衛出動および治安出動に並ぶ重要な任務のひとつとされる。「災派(さいは)」と略称されることもある。
災害派遣は災害等により当該地域や地方公共団体の保有する防災・災害救助の能力では十分な対応が出来ない時に行なわれるもので、自衛隊法第83条に定められている自衛隊の行動である。自衛隊の主任務は自衛隊法第3条第1項に規定されている「外国の侵略からの国土防衛」であり、災害派遣は同法第3条第2項の主たる任務に支障ない範囲で行われる、本来任務の中の“従たる”任務にあたる。災害派遣を実施するにあたっては、緊急性、非代替性、公共性の三要件を考慮するものとなっている。
災害救助という緊急を要する場面が想定される活動であるため、その場に警察官がいない場合に限り、警察官職務執行法が準用され、私有地への立ち入りや建築物・車両などの除去など私権を合理的な範囲で制限する権限が認められている。
災害派遣は、その活動内容が専ら国民の生命および財産の保護であり、2021年現在、1度も実施されていない防衛出動および治安出動ならびに3回しか実施されたことのない海上警備行動と異なって、すでに32,000回以上の出動実績がある。
なお、大東亜戦争以前の帝国陸軍では、師団司令部條例第6条において府県令および後の知事の要請により師団長の命令で出動することが可能とされていた。また、戦後と異なり要請が無くても師団長の判断で出動させることが可能であった。
災害派遣により出動した自衛隊の部隊等が行う活動は非常に幅広い。自衛隊が災害派遣において発揮する最大の特性かつ長所は、他組織の支援を得られなくとも自力で任務遂行を可能とする、高度な自己完結性にある。
自衛隊に対する期待の主要なものはインフラの破壊された被災地に対する、ヘリコプターなどによる空輸能力を活用した早期展開による人命救助活動であり、基本的には遠隔地から派遣されるため困難が伴うが、航空機や初動要員の24時間待機などの体制が整えられている。
災害発生時に現地で救助・支援活動を実施する自衛隊員たちという括りで、テレビ報道なども含めて一般大衆がその姿を目にする作業としては、主なものはこれらが挙げられる。
とはいえ、自衛隊の活動範囲は決してこれらに限定されるものではなく、むしろ非常に広範囲に及ぶものであり、さらには、
このように、状況や緊急性に応じて必要とされるあらゆる活動を、可能な限り実施する。
なお、有事における災害派遣の扱いは不透明であったが、2004年(平成16年)国民保護法の成立に伴い国民保護等派遣(自衛隊法第77条の4)として分離された。また、冷戦終結後の1990年代以降は、国外へ医療・航空部隊等が派遣されているが、これは国際緊急援助隊の派遣に関する法律に規定されている「国際緊急援助隊」であり、別のものである。
自衛隊法上その他の行動においては、内閣総理大臣や防衛大臣などの承認や命令が必要とされるなど非常に制限が多いが、災害派遣は、災害時の秩序維持において有用で、武器の使用については治安出動とは異なることから、都道府県知事のほか、海上保安庁長官、管区海上保安本部長または空港事務所長からの要請により、駐屯地司令など2佐クラスの自衛官でも命ずることができる非常に緩やかなものである。また、市町村長、警察署長その他これに準ずる官公署の長から災害派遣に関する依頼を受け、直ちに救援の措置をとる必要があると認める場合にも、部隊等を派遣することができる。
災害派遣を命ずることができる者は、防衛大臣のほか、政令の指定により、次の者がいる。
近傍災害派遣を命ずることができる部隊等の長は、指定部隊等の長のほか、団、連隊、群、大隊、独立中隊およびこれらに準ずる部隊の長ならびに学校、分校、病院、補給処および補給処支処(出張所を含む。)の長である。
ただし、部隊等が駐屯地の近傍において教育・訓練などに従事している場合または演習場の廠舎もしくは野外に宿営している場合、その近傍に救援を要する火災、その他の災害が発生したときは、当該部隊等の指揮官(曹士でも可能とされている。)は、救援に当たることができる。
急患空輸は災害派遣の中でもっとも頻繁に実施される活動で、平成17年度は892件中609件と約2/3、例年においても総件数の2/3~3/4がこの種の活動に充てられている。その大半が五島列島、南西諸島から九州や沖縄本島、奄美大島など医療機関が整った地域への空輸である。
災害派遣は自衛隊法上「天災地変その他の災害に際して」行なわれるものとされているが、厳密には災害とみなしがたい通常の疾病での派遣も数多く行なわれている。
これは、災害派遣の実運用上は以下の3要件に照らして実施の判断が行われることによる。
急患はほとんどの場合「治療なしでは生命の危険が差し迫った状態」にあるため、公共性・緊急性の要件は自ずと満たされる。一方、非代替性については、例えば本土から1300km離れた小笠原諸島は急患輸送を担うべき東京消防庁の救急ヘリの航続距離を越えているばかりか、固定翼機が着陸可能な民用空港もない。このため、小笠原諸島の急患搬送は、US-2飛行艇を本土から直接差し向けるか、あるいは硫黄島航空基地を経由するか、いずれにしても自衛隊をもって他に替えることは不可能である。このような離島などの遠隔地における急患の輸送は、実施判断の3要件を満たすと解されるので、これに基づいて派遣が行われている。
災害派遣部隊の指揮官は警察官や消防吏員、海上保安官、自治体職員がその場にいない場合に限り、災害派遣活動を円滑に進めるため強制的に避難させたり、工作物を除去するなど警察官などの権限の一部を行使し、自治体職員が取るべき応急措置の一部を行うことが出来る。ただし、近傍派遣により派遣された場合は含まれない。
同一地域で救援活動に当たる各機関との関係は並列・対等であり、災害対策本部での調整を受けて役割を分担して行う。また、個々の現場では地域住民やボランティアと協同で活動を行うこともある。
災害派遣に関する法令は「要請権者」および「災害派遣を命ずることができる者」に災害派遣に関する地域的な制限を加えていない。大規模な災害派遣のため全国各地より部隊が派遣される場合、命令が発せられた時点より部隊が「要請権者」の管轄地域外であっても災害派遣行動に移行するのはもちろんのこと、外国の領海内で災害派遣行動を行なった実例も存在する(「えひめ丸事故」におけるハワイ諸島周辺の米国領海内での活動)。
阪神・淡路大震災までの一時期、文民統制の原則から、都道府県知事等の要請がなければ絶対に災害派遣行動はできないという考え方が主流となっており(幹部自衛官による独断専行を容認することはクーデターに繋がるとする意見がある)、緊急を要する場合は訓練名目での派遣や近傍派遣の名目で行なわれたこともあったが、阪神・淡路大震災での反省を踏まえ、現在では「自主派遣」に関する基準が明確化されており、法制定の趣旨に沿った活動が行われている。
そもそも、災害派遣は災害という非常事態下のやむを得ない場合に行なわれるもので、「緊急性」「公共性」「非代替性」を総合的に判断して派遣の可否が判断される。平成18年豪雪に伴う災害派遣のように関係者の間で自衛隊災害派遣の是非を巡る判断が分かれる場合、政府首脳による政治的判断により災害派遣の実施が決定されることもある。
災害救助はあくまで文民(消防・警察・海保)の任務であり、自衛隊は派遣要請が行われるまで救助活動を行わないが、人命救助システムなどの専用装備を有しているほか、2013年からは 各地の基地・駐屯地などに災害の情報収集などを目的とする初動対処部隊『ファスト・フォース』(FAST-Force)を常時待機させており、災害発生時には、自主派遣として航空機を現場に先行させている。 例として2016年に発生した熊本地震では、航空自衛隊はF-2戦闘機2機、海上自衛隊はP-3C哨戒機1機、陸上自衛隊はUH-1J多用途ヘリコプターとUH-60JA多用途ヘリコプターの2機を派遣し情報収集に当たっている。
また2024年に発生した能登半島地震では、地震発生直後の16時30分には航空自衛隊のF-15戦闘機(千歳・新田原から4機)F-2戦闘機(築城から2機)U-125A捜索救難機(百里から1機)、陸上自衛隊のUH-1J多用途ヘリコプター(立川・八尾・霞の目)CH-47JA輸送ヘリコプター(木更津から2機)LR-2偵察連絡機(木更津から1機)、海上自衛隊のP-3C哨戒機(八戸・厚木)SH-60K哨戒ヘリコプター(舞鶴)が出動するなど、熊本地震の頃よりその規模と体制が強化されているのが窺える
災害派遣は自衛隊が任務として行う公共の秩序の維持のための活動であるから、土木工事等の受託(自衛隊法第100条・隊員の給与を含めて請求)とは異なり基本的に要請者や過失または犯罪行為によって被害を発生させたものに対して費用を請求することはない。ただし、災害派遣を行うに当たって特別に要した費用(たとえば部隊が駐屯するために借り上げた施設の使用料、被災者に提供した食料など)は要請者が負担することとされ、細部は都道府県などと協議の上決定される。また、災害派遣のために使用される車両は高速道路を無料で通行することができる。
なお、船舶油濁損害賠償保障法では「損害の原因となる事実が生じた後にその損害を防止し、または軽減するために執られる相当の措置に要する費用」を船舶の所有者が賠償する義務を定めていることからこのような場合は災害派遣に要した経費を請求する。たとえばナホトカ号重油流出事故の場合、防衛庁は海上保安庁などと共同で船主や保険会社を相手に訴訟をおこない、防衛庁分として約6.6億円を請求している。
災害派遣には次のような見解がある。自衛隊を肯定するから災害派遣も全肯定するといったような単純なものではない。なお、現状では国民から肯定的に評価されており、2006年2月の世論調査では自衛隊が存在する目的として災害派遣と回答した者は75.3%となっている。
1966年に発生した全日空羽田沖墜落事故では、遺体捜索中の海上保安庁のヘリコプターが墜落し3人が死亡する二次災害が発生するなど、派遣された自衛官などが様々な被害を受けることも多い。2010年に宮崎県で発生した口蹄疫問題でも、災害派遣された隊員が消毒用の消石灰で目や腕の皮膚などに炎症を起こす事例も発生している。
また、PTSDなどの症状を発症せずとも、軽い不眠や精神不安定といったものは多々ある。これに対して、自衛隊内でもカウンセリングなどの必要な対策がなされている。
2011年の東日本大震災では、福島第一原子力発電所事故で、上空からの観測や消火復旧に当たっていた隊員などが軽度の放射線被曝をしている他、2人が復旧・捜索活動のさなかに過労死した。
なお、上記以外にも過去災害派遣中の殉職事故も発生しており、特に航空機での輸送中が多い。
初の災害派遣は警察予備隊当時の1951年(昭和26年)10月14日から15日にかけて九州地方に上陸した「ルース台風」後の救助活動である。普通科第11連隊(当時)の隊員延べ2700人が、時の内閣総理大臣吉田茂の命令により、同20日から26日にかけて山口県玖珂郡広瀬町(後の錦町→岩国市)に派遣され、救助活動を行なった。
しかし、警察予備隊初の災害派遣は当初スムーズには行われなかった。田中龍夫山口県知事の要請により情報収集を開始した第11連隊は第4管区総監部(現在の第4師団司令部)に指示を仰いだものの、前例がない事と許可権は内閣総理大臣にあるとの理由により「出行保留」(事実上の出動不許可)としたのである。
これに対し、副連隊長が現地の写真などを持参し第4管区総監部に赴き出動許可を求めたが、一度決まったことであり変更・撤回はないとしてやはり許可は下りなかった。そこで副連隊長は、管区総監(現在でいう師団長)筒井竹雄が仕事を終え帰ろうとしていたところを捕まえ直訴。筒井は直ちに東京の総隊総監部へ連絡を入れ、そこから吉田総理へ出行要請が届き派遣が決定した。「許可権は内閣総理大臣にある」と突っぱねた第4管区総監部も、総理自らの許可が下りたことで出行保留を撤回し、部隊派遣の正式命令を下す運びとなった。
この後、保安隊については、保安庁法第六十六条に災害派遣が明記され、自衛隊/自衛隊法第八十三条にも引き継がれた。
以降、以下のような派遣事例がある。
※ 熊本地震、九州北部豪雨、平成30年7月豪雨、平成30年北海道胆振東部地震、令和元年房総半島台風(台風第15号)、令和元年東日本台風(台風第19号)、令和2年7月豪雨、令和3年7月1日からの大雨については、派遣実績に含まれない。
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