泉 麻人(いずみ あさと、本名:朝井 泉(あさい いずみ)、1956年4月8日 - )は日本の作家、コラムニスト、気象予報士。慶應義塾大学商学部卒業。
東京都新宿区の住宅街である中落合で育つ。父親は慶應義塾高等学校の数学教師であった。泉自身も中学(中等部)から慶應義塾に学び、高校在学中はサッカー部に所属していた。大学在学中の1977年(昭和52年)には、『ほんものは誰だ?!』(日本テレビ)に慶應義塾大学広告学研究会部長として出演、1978年(昭和53年)春には 『全日本パロディ放送広告賞』を受賞、友人とともに『11PM』(日本テレビ)に出演。
大学卒業後の1979年(昭和54年)4月に東京ニュース通信社に入社。『週刊TVガイド』の編集部に配属され、NHK担当を約2年務める。編集部の仕事のかたわら、会社に内密で平凡出版(現マガジンハウス)の『POPEYE』などでコラムの執筆を開始する。
1984年(昭和59年)7月に退社してフリーランスとなる。同年10月、作家・田中康夫との共著で『大学・解体新書』を刊行。また同年秋から1994年(平成6年)までの長期連載となる『ナウのしくみ』を『週刊文春』(文藝春秋)に連載を開始し、初期の泉を代表する仕事となる。
また、1986年(昭和61年)TBSのバラエティー番組『テレビ探偵団』に本名でレギュラー出演し、「私だけが知っている」のコーナーを担当した。1998年(平成10年)にはみうらじゅんプロデュース、自身の作詞作曲により『IZUMIN』名義でソロシングルCD「コラムで行こう!」をリリース。カップリングには自身が高校時代に作った曲「25時のシンデレラ」が収録された。さらに天気予報好きが高じて、2005年(平成17年)には気象予報士資格を取得し、その顛末を『お天気おじさんへの道』に著した。
デビュー初期は「今現在、若者の間で流行している風俗(ナウ)を面白おかしく、時にシニカルに伝える」当時の若者らしい軽薄調な作品が多かったが、年齢を重ねて行くと自身の幼少期や昭和時代の思い出、電車やバスといった交通機関の話題など、「近過去のレトロ」や同世代の“ナウ”を得意とするようになった。
自分の青春のアイドルは栗田ひろみであると公言していた。人生で多くの影響を受けた人物は吉田拓郎。石破茂は高校2年時のクラスメートである。娘はフリーライター・コラムニストの朝井麻由美。
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