12012(イチニーゼロイチニ)は、日本の5人組ロックバンド。所属事務所はBACK COAT。
略称は「12」、「イチニー」、「凶器所持」など。
全メンバーが本名。
2009年5月5日に開催したワンマンライブ「SPRING TOUR 2009 HEADS UP!! TOUR FINAL All out attack」のオープニングアクトとして出演したバンド。
2005年にアメリカで結成された12012のコピーバンドという設定。
『灰降ル躰』『gallows』『my room agony』の3曲を演奏した。
2010年10月3日には「来日公演」と称してワンマンライブを開催した。
宮脇渉と須賀勇介は大阪を中心に「Lubis Cadir」として活動し、塩谷朋之は「Mist of Rouge」に所属して活動していた。川内亨と酒井洋明は愛媛を中心に活動しており、それぞれ「ネジレ」と「KiLLa]に所属。(当時は宮脇は狂弥、須賀は憂介、塩谷は朋、酒井はAcul、川内は亨という名前で活動)。2003年に「Lubis Cadir」と「Mist of Rouge」が解散し、宮脇は新たなバンドを結成することを決意した。宮脇は、まず酒井を誘い、続いて「Lubis Cadia」と同じ事務所(Matina)に属していた「Mist of Rouge」のメンバーに声を掛けた。この時点で、酒井と須賀と塩谷のメンバー入りが決まる。その後、宮脇は四国で活動する川内を大阪に招いた。宮脇は、この4人を選抜した理由として「自分のイメージする各パートの人物であったから」と答えている。
2003年5月1日、新たなバンドを結成し、バンドのコンセプトを「人間の内面における狂気」と定める。そして、バンドコンセプトの「狂気」と「凶器」をかけて、ロサンゼルス市警の暗号で「犯人凶器所持」を意味する12012をバンド名とした。この命名は須賀の発案で、その中には12012の他にも数種類の暗号があったとのこと。また、バンド名を数字にしたのは「どのカテゴリにも属さない“無色”なイメージにしたかったため」とも話している。
12012は、KISAKIが主催する「UNDER CODE PRODUCTION」と契約し、2003年5月31日に初のライブ「Empty holy night」を行う。続いて7月28日には初のMAXIシングルとなる「depression sign」(限定1000枚)をリリース。その後、オムニバスCDへの参加やイベントの主催など精力的な活動を行い、翌2004年3月31日、インディーズ2ndシングル「Shudder」(限定3000枚)、4月28日にはインディーズ1stミニアルバム『Increasingly』(限定5000枚)をリリースする。同年6月30日に2枚目のオムニバスCDへ参加し、初の全国ツアーとなるUNDER CODE PRODUCTION PRESENTSオムニバスCD発売記念TOUR「Decadence 2004〜SPLEEN&IDEAL〜」へ参加する。「Shudder」をリリースする以前は10〜30人程度でしかなかったライブの動員数がこの時期から伸び始め、『ベルサレム』(限定3000枚)『Knight mare』(限定3000枚)『深〜deep〜』(限定3000枚)を3か月連続リリースする。この頃から、同事務所のヴィドール・Phantasmagoriaと並び、“UNDER CODE PRODUCTIONの3バンド”と呼ばれるようになった。
2005年3月26日、初のワンマンライブ「against supreme」を開催し、各地でのライブやイベントの参加、CDのリリースなどによって次第にファンを増やす。2006年2月1日、初のフルアルバム『PLAY DOLLs』と裏ベストアルバム『not obtain+1』を同日リリース。同年5月10日にリリースした、インディーズ5thシングル「Heart」でオリコン・インディーズチャートで1位を獲得。9月29日にインディーズ7thシングル「PISTOL」をリリースすると、海外での活動も開始することとなる。同年11月15日、インディーズ8thシングル「Over....」をリリースした後、12月3日に『ベルサレム』『Knight mare』『深〜deep〜』の再発盤をリリースする。
UNDER CODE PRODUCTION卒業イベント「深 絆〜Graduation & Departure〜」へ参加。このイベントの最終日をもってフリーウィルに移籍、 ユニバーサルミュージックと契約。移籍が切っ掛けとなり上京、活動の拠点を大阪から東京へと移す。
2007年4月放送のアニメ『ロミオ×ジュリエット』の前期EDに『サイクロン』が起用される。6月17日に1stシングル「CYCLONE」をリリースし、メジャーデビュー。7月には渡米してニューヨークで開催された「アニメコンベンション」に参加し、7月31日より全国ツアーを開催。その後、10月17日には2ndシングル「SHINE」、12月12日に1stアルバム『DIAMOND』をリリース。12月31日には「Over the Edge '07」と「YEAR END of HOLIDAY 2007-2008」の2つのイベントに参加。2008年1月1日には渋谷、新宿、名古屋、大阪の全国4会場へ登場というハードスケジュールをこなす。
2008年は12012の結成5周年という節目の年であり、1月に「5th Anniversary Live 「嵐」」開催を発表。2月末に2008年第一弾シングル「MERRY GO WORLD」のリリースを発表し、3月には12012初のドラマタイアップが発表される。テレ朝チャンネル『Wild Strawberry』のオープニングに『サイクロン』、エンディングに『LOVERS』というダブルタイアップであった。また、タイアップをきっかけにメンバーはドラマへの出演を依頼されるが、「ドラマのクオリティを下げるので」と断っている。4月16日の発売の『MERRY GO WORLD』のPVに岸部四郎が出演することが明かされ、テレビや新聞などで報道された。同シングルを発売後、前事務所のKISAKIから「お前らが続くと思わんかったわ。一番すぐに解散するバンドだと思っていた」と言われたという。
「5th Anniversary Live 「嵐」」では、セットリストのリクエストを募った上でライブを開催。来場者には『MEMORIAL DVD』が配布された。リクエストの1位は『僕ノ殻カラ』、2位は『orion』、3位は『浸色』であったとのこと。このライブを経て、メンバーは以前の「自分たちの音楽を内側に向けて伝える」形から「外側に矛先を向けること」へと転換することを決意する。そのため、8月20日にリリースされた「太陽」は、メンバーの気持ちを素直に発信している。
9月24日にライブDVD『5th Anniversary Special Live 「嵐」』をリリースし、オリコンDVD音楽ランキングにおいて週間15位を獲得する。10月29日には「太陽」より始まった3か月連続リリースの締めくくりとして、5thシングル「逢いたいから....」をリリース。この曲で有線放送での問い合わせチャートで10月に8位、11月に6位を獲得している。12月12日には大阪でワンマンライブを開催。当日、ライブ終了後に2009年1月21日リリースのシングル「As」のPVが初披露された。
2009年1月21日に6thシングル「As」を、2月18日に7thシングル「Hallelujah」を、3月11日に2ndアルバム『mar maroon』をリリース。昨年に蓄積したものを解放する思いを込め、「総攻撃開始」をスローガンに、3月13日から1年3か月ぶりのツアー「SPRING TOUR 2009 HEADS UP!!」を開催。過去最大の全国15箇所とワンマン初のSHIBUYA-AXで「SPRING TOUR 2009 HEADS UP!! FINAL All out attack」と題したファイナル公演を敢行。この公演では来場者限定のDVD配布やスピードくじ、謎のバンド"凶器所持"がオープニングアクトとして出演するといった特別企画が行われた。8月6日からは「灼熱のXII Days THE BURNING 12DAYS」を開催、前半を「首都圏SIX DAYS」、後半を「THE GUILTY OF SIX DAYS」と題し、後半は各メンバーのプロデュースによる公演を行った。10月7日に8thシングル「薄紅と雨」リリース、同タイトルを冠したツアーを10月11日より開催。12月12日にはワンマン初となる渋谷公会堂にてフリーライブ。このライブで9thシングル『TATTOO』のリリースを発表し、同シングルの発売日の翌日にはリリース記念ライブを開催した。
2010年3月31日にライブDVDをリリース、4月1日より東名阪ツアーを開催。ファイナルのSHIBUYA-AXの公演で川内の誕生日を祝うサプライズが行われた。また同月に期間限定再結成したバンドΛuciferに対して、宮脇が「リュシフェル期間限定復活おめでとうございます。ワインのようにシーズニングされたmakoto君の歌も楽しみにしてます。」とメッセージを寄せた。4月29日よりイベント「EXTRA-TERRITORIAL」へ参加。宮脇とkannivalismの圭の発案で、フリーウィル所属のバンドが勢揃いした初イベントとなった。10thシングル『THE PAIN OF CATASTOROPHE』をリリースし、7月14日にリリースされた3rdアルバム『SEVEN』のレコーディングが終わると、宮脇はFIFAワールドカップ南アフリカ大会の観戦のため現地へ向かう。宮脇の現地の様子や観戦した試合のレポートなどを掲載する個人ブログが話題となり、開設から2週間で300万アクセスを記録し、アメーバのブログランキングでは最高3位(visual系部門)まで上昇した。帰国後、7月24日よりツアー「2010 SUMMER TOUR SEVEN-Footsteps to steal up on-」を開催。9月から11月にかけては数々のイベントに参加し、11月13日には約3年ぶりとなるアメリカでのライブを行う。
一連のイベントと12月のツアースケジュールが発表されていたが、10月8日に須賀が最終日をもって、音楽性の違いにより脱退と発表された。2011年2月、4人体制でバンドを継続すると発表される。2013年7月、サポートを務めていた斎藤紳一郎が正式に加入し、再び5人体制となる。しかし、2014年12月12日、活動休止を発表。
2020年6月22日、2010年に脱退した須賀を加えた6人体制で活動再開。
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