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ノーザンレインボー


ノーザンレインボー


ノーザンレインボーは日本の競走馬。1998年中山大障害(春)を優勝した黒鹿毛の牡馬である。全姉に優駿牝馬を制したアドラーブルがいる。

現役時代

1993年1月9日に平地でデビューし通算7勝を挙げた。平地の勝ち鞍は全てダート戦だが芝でもステイヤーズステークスで5着となるなどなかなかの成績を残し、1997年の目黒記念を最後に障害入りする。

平地時代は差し馬だったが障害競走では逃げの戦法ですぐに頭角を現し、デビューから4戦3勝で1998年の東京障害特別(春)に出走。1番人気に推されたが、ここは襷大竹柵で転倒し競走中止した。

しかし勢いは止まらず次走の障害オープンを楽勝して中山大障害(春)へ。同レースには前年秋に阪神、東京、京都の障害重賞を制したアワパラゴンが史上初のグランドスラムを賭けて出走、1.9倍の1番人気となっていた。レースではノーザンレインボーが逃げを打ち、アワパラゴンが離れた2番手、更に離れてポートフリーという展開。そして大竹柵でアワパラゴンが転倒により競走中止すると、この時点で勝負あり。後は完全な独走状態に入る。最終的に後続に5.9秒の大差をつけて優勝となった。これは中山大障害の歴史においてシンボリクリエンスの8.6秒に次ぐ着差であった。

しかし1か月後に行われた京都大障害(春)では先頭争いを演じるものの、3周目の向こう正面で障害競走3連勝中の1番人気ゴッドスピードに捕まり大差の2着に敗れた。その後休養に入り、秋シーズンでは障害オープン競走に勝利した後、襷コースの廃止された東京障害特別(秋)に出走。先行策をとり、直線で一旦イブキハイシーザーに抜け出されるが、そのイブキハイシーザーが大きく外にヨレている間に先頭を奪い返すと、最後はビクトリーアップの追撃をクビ差しのぎ、春の雪辱を果たした。

続く春秋連覇を懸けて出走した中山大障害(秋)では1.5倍の1番人気に推されて春同様に再び逃げを打つが、大生垣障害で転倒し競走中止。その転倒時の打撲から筋肉痛を発症したため、10か月半休養した。その後1999年秋の京都障害オープンで復帰して3着となり、グレード制初の中山大障害では1番人気に支持されたが最後の坂路を越えて一杯となり9着と惨敗し、翌2000年の中山グランドジャンプでも2周目の向こう正面で失速して8着。その後放牧に出されていたが、結局同年9月22日に競走馬登録を抹消した。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.comに基づく。

引退後

2001年にノーザンホースパークで種牡馬入りし、未出走のシャンハイ産駒ワットソニアと交配され、翌年には唯一の産駒ワットミリングが誕生。しかし産駒デビューは叶わず、ノーザンレインボー自身需要が無かった事もあって、現在は乗馬となっている。

血統表

  • 主な近親はプリティーポリー#シスターサラ系を参照

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
  • ノーザンレインボー - 競走馬のふるさと案内所

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ノーザンレインボー by Wikipedia (Historical)