Do As Infinity(ドゥ・アズ・インフィニティ)は、日本の男女2人組ロックバンド。1999年結成。所属芸能事務所はエイベックス・マネジメント。所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメントで、レーベルはavex trax。公式ファンクラブは「Dive At It」。略称は「Do As」。
作品ブックレットにはTomiko Van,Ryo Owatari,Dai Nagao & ALL SUPPORTERSと表記されており、サポーターもメンバーと括っている。
長尾は、2000年12月31日にヴェルファーレで行われた「avex NEW CENTURY COUNT DOWN 2000・2001」でのライブを最後にフロントメンバーとしての活動を離れ、楽曲制作に専念した。長尾がフロントメンバーを外れた理由として、Do As Infinityのメンバーとしてのライブパフォーマンスやプロモーション活動と、作曲家としての楽曲製作を同時進行で進めることが困難であり、楽曲製作が滞ってしまう状態に陥ったためとされている。長尾が、その後メンバーとしてファンの前に姿を見せたのは、2002年9月に渋谷公会堂で行われたデビュー3周年記念公演 と、2005年11月25日に日本武道館で行われた、ラスト・ライブでの2回目のアンコール時にゲスト出演という形で登場した時だけであった。フロントメンバーとしての活動を離れてからは楽曲の提供のみで、レコーディング時の演奏にもほとんど関与していなかった。
2004年には、長尾が所属事務所のエイベックス・エンタテインメント(当時アクシヴ)を離れ、個人事務所「TRUE SONG MUSIC」を設立。初めて全面プロデュースを手がけたアーティストAmasia Landscapeをはじめ、様々なアーティストへの楽曲提供を精力的に行っている(楽曲提供をしたアーティストは、長尾大楽曲提供を参照のこと)。また、2008年からの再結成に長尾は参加しておらず、メンバーとしては伴・大渡のみが表記されている。なお、不仲説については長尾は否定している。
長尾は、ビルの夜間警備アルバイトをしながら、ギターでの楽曲製作に励む日々を送っていた。1998年、雑誌に掲載されていたレコード会社の一覧を頼りに、30曲入りのデモテープを送付し始める。このテープには、デビュー曲となる「Tangerine Dream」や「Heart」「SUMMER DAYS」「Simple Minds」などが既に含まれていた。デモ楽曲が、アクシヴ(現・エイベックス・エンタテインメント)のスタッフの耳に留って呼ばれたのを機に、長尾は連日のように完成した楽曲をアクシブに次々と持ち込むようになり、同社専属のクリエイターとしてデビューすることに成功する。チェキッ娘やYURIMARI、吉沢梨絵、hitomiなどへの提供を着実にこなし、浜崎あゆみへ提供した楽曲「TO BE」で一躍脚光を浴びるようになった彼自身が参加するユニットを作ることを、avex主導で決定したのがこのユニットの誕生のきっかけである。
熊本から服飾の専門学校に通うため上京していた伴は、中目黒でスカウトされた。スカウトした者の伝により、1999年5月18日にavexの関係者が揃う渋谷のカラオケ店へ呼ばれ、長尾らが見守る中、小野正利の楽曲を熱唱。伴のレコーディングの見学に呼ばれる形で大渡が参加し(大渡の加入は、この時点で既に決定していたが、本人には自覚が無く、知らされたのは20日になってからである)ユニットとしての体制が整った。
デビューに向け楽曲を製作していく中で、大渡が何気なく提案した路上ライブの実施をプロモーションの一環として決定。同年8月15日から、渋谷ハチ公前を中心に、全国各地で路上ライブを展開。デビュー前に行われていたライブの終了後には、「Tangerine Dream」と「Heart」が収録されたMDも無料配布されていた。レコーディングを中断してライブを行い、終了後はまたスタジオに戻って再びレコーディングするなど連日精力的にこなした結果、約3か月後の11月22日に路上ライブ通算100回を達成。記念公演は、渋谷公会堂にて無料で行われ、この時に歌った音源は3rdマキシシングル「Oasis」に「Wings」が、ライブ・アルバム『Do As Infinity Live -Final-』にボーナス・トラックとして「Tangerine Dream」と「Raven」「Oasis」が収録されている。
ファースト・アルバム『BREAK OF DAWN』発表後は全国各地でのイベント出演が中心となり、連日のように路上ライブを行うことはなくなった。2000年9月29日のデビュー1周年時に、彼らの強い希望により、渋谷ハチ公前にて路上ライブを実施。メンバーは10曲程度披露するつもりでいたが、人が殺到したため警察官が介入する事態となり、全5曲で終了。彼らの路上ライブは、これが最後となった。
デビュー当時は、楽曲製作とライブ出演を優先させるために地上波テレビへの出演がほとんど無かったが、サポーターを中心にテレビ出演を求める声も高まったことから、7thマキシシングル「Desire」のプロモーション時に地上波テレビに登場。しかし「大渡はアルバムのレコーディングが最終段階のため多忙」という理由で伴が単独で出演し、ギター演奏には秋山智江を立てて行われた。当時のことを伴と大渡は「なぜかひとりで出てみろという話になった。なぜそういうことになったのかはわからない。」と後にテレビ番組で語っていたが、長尾がフロントメンバーを離れたことについての説明をつけるのが難しいというスタッフ側の判断で、最初は伴の単独出演にしたとされている。
3か月連続リリースの第1弾となった8thマキシシングル「遠くまで」からは大渡も登場し、一気に露出を増やした。連続リリースと並行し、2001年5月には初のワンマンライブツアーを敢行。2002年に発表したベスト・アルバム『Do The Best』は出荷枚数がミリオンを突破し、第17回日本ゴールドディスク大賞ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
デビュー日でもある9月29日に解散し、ラストライブを11月25日に日本武道館で行うことを2005年9月13日に発表。ラスト・ライブの実施は当初考えられておらず、Do As Infinityとしてのパフォーマンスは同年8月28日に行われたa-nation'05神戸公演で最後とするつもりであった。しかしその後、「ラスト・ライブは日本武道館で行いたい。」とメンバーが希望。急遽日本武道館でのラストライブを実施することを決定したが、解散日となる9月29日までの日本武道館の使用可能日程は限られていたため、解散後となる11月25日に一夜限りの復活という形でけじめをつけた。
2007年のクリスマスイヴに、友人と食事をしていた伴が大渡に電話をかけ、大渡が食事の席に合流する形で久しぶりの再会を果たす。その時はそれぞれの近況を話し、昔話に花を咲かせただけであったが、2008年に入り、今度は伴の通うジムで2人がバッタリ出会う。その春、メンバーとスタッフが再会。初夏ぐらいから再結成へ向けての話し合いが何度となく行われ、7月にメンバーとスタッフが最終的に合意し、a-nationへのサプライズ出演へと漕ぎ着けた。
2009年のa-nationでは伴の画像が正面に映し出され、「冒険者たち」を含め、4曲歌いあげた。
2017年7月、初のラテンアメリカツアーを行い、メキシコ、アルゼンチン、ブラジル、チリでのライブを開催。
デビュー当初は"誰が書いてもD・A・I"のコンセプトの下、作詞・作曲とも「D・A・I」とされており、実際の製作者の名前は具体的に表記されていなかったが、『Do The B-side』に収録された「BE FREE」以降は作詞クレジットが、再結成以降は作曲クレジットが明確化されるようになった。作詞は伴、大渡によるものと、川村サイコのものがある。川村は、原田淳(avex 第4製作部 製作統括、デビュー当初からDAIを担当)と新地佳代子(楽曲の仮歌を担当。本業はエステティシャン)の共同名義である。また、『Heart』までディレクター、鈴木直人も作詞している。再結成後は、引き続き伴と大渡、またユニットである井上カノが主に作詞を手がけている。なお、一部の楽曲については、再結成後に出版された著書『DO THE MUSEUM』の本文中で、誰による作詞なのかが判別可能である。
作曲は、大渡が手がけた「アザヤカナハナ」(『GATES OF HEAVEN』収録)及び、再結成後の楽曲を除いて、すべて長尾が制作している。また、「アザヤカナハナ」はタイトルを「鮮やかな花」と改め、ミサイルイノベーション名義で大渡がセルフカバーしている。編曲は、1st、2ndシングルのみセルフプロデュースで、「Oasis」以降は、6thシングル曲「We are.」を除き、亀田誠治がベーシストを兼任の上、プロデューサーを務めている。
なおこのクレジット方法についてはavexの原田の発案であり、デビュー当初は大渡と伴も許諾したものの、後に自身の作詞であるのに自身の名前がクレジットされないことに徐々に不満が募り、そのことも一要素として2005年のDo As Infinityの一時的な解散に至ったと2020年のライブツアーの石川公演にて大渡と伴の両人共が吐露している。
バンドスコア
ピアノスコア
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