![ドリームパスポート ドリームパスポート](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0a/Dream_Passport_20071125P1.jpg/400px-Dream_Passport_20071125P1.jpg)
ドリームパスポート(欧字名:Dream Passport、2003年3月14日 - 2024年2月14日)は、日本の競走馬。主な勝ち鞍に2006年のきさらぎ賞、神戸新聞杯。
馬名の由来は、「夢のパスポート」。
2005年9月3日に小倉競馬場の新馬戦で高田潤を背にデビュー。6番人気で後に阪神ジュベナイルフィリーズを勝つテイエムプリキュアの3着に敗れる。次の未勝利戦ではメンバー中最高の上がりタイムを記録したが、後に朝日杯フューチュリティステークスを勝つフサイチリシャールの2着。3戦目で1番人気に応えて初勝利を挙げる。4戦目の萩ステークスでは、1番人気に支持されたが結果はフサイチリシャールの2着。この競走でライバルのメイショウサムソンと初めて顔を合わせる。続く京都2歳ステークスも既にデイリー杯2歳ステークスを勝っていたマルカシェンクの2着に敗れた。
初の重賞参戦となったきさらぎ賞から始動すると、レースでは直線で猛追しメイショウサムソンに1/2馬身差をつけ1着となり、初重賞制覇を飾った。続くスプリングステークスでは前走で下したメイショウサムソンの3着に敗れるが、皐月賞の優先出走権を獲得した。
皐月賞では重賞3勝馬アドマイヤムーンや評判馬のフサイチジャンクなどが有力視される中、鞍上が大レースでの実績のない高田潤が騎乗することもあってか10番人気と低評価であったがレースでは直線でインコースの狭いところを鋭く伸びて追い込み、メイショウサムソンの2着に入った。続く東京優駿(日本ダービー)では新たに四位洋文とコンビを結成。距離適性の不安が囁かれ、またも7番人気と低評価であった。レースは、最後の直線で後方12番手の位置からよく伸びてきたが、前をとらえ切れずにまたしてもメイショウサムソンの3着と敗れた。
秋初戦の神戸新聞杯では高田とのコンビが復活。夏に軽い骨折をしたことや東京優駿の1着、2着馬が出走したこともあり3番人気となったが、内側を走っていたメイショウサムソンを最後の直線で大外から一気に交わして重賞2勝目を挙げた。鞍上の高田にとっても平地重賞初勝利となった。
そして2番人気で迎えた菊花賞では横山典弘に乗り替わり、GI初制覇が期待されたレースとなった。アドマイヤメインが大逃げを打つ中で中団からやや前方でレースを進め、最後の直線では三冠のかかるメイショウサムソンを直線で交わし、さらに先頭のアドマイヤメインを交わしたものの、その外から追い込んできたソングオブウインドに差され2着に敗れた。
古馬との初対決となるジャパンカップでは岩田康誠が騎乗。レース前はディープインパクト、ハーツクライ、ウィジャボードの3強対決とも言われたがここでも中団でレースを進め、直線ではウィジャボードを抑えてディープインパクトの2着に入った。続く有馬記念では内田博幸が騎乗、2番人気に推され最後は伸びきれず4着に敗れたものの、同世代の中では最高着順となった。
2006年7月1日から12月31日までの6か月間を対象としたトップ50ワールドリーディングホースでは19位タイにランクインした。なお、他に19位タイにランクインした日本馬は、この年GI2勝を含む重賞4勝を挙げたダイワメジャーと、香港カップでプライドに僅差の2着に入線したアドマイヤムーンの2頭である。
2007年3月18日の阪神大賞典から始動。鞍上には安藤勝己を迎える。圧倒的1番人気に推されたが、最後の直線でアイポッパーに交わされ2着となった。その後、天皇賞(春)に向けて調整が続けられていたが、4月7日に右第3中手骨骨折を発症していたことが判明し、休養を余儀なくされる。復帰は11月25日の第27回ジャパンカップとなったが、14着と大敗した。
第52回有馬記念ファン投票では7位となる6万264票を獲得。同レースへの出走を決める。高田潤と神戸新聞杯以来のコンビを組むことになった。迎えた12月23日のレースでは、スタートで少し立ち遅れた形になり、さらに第4コーナーで躓いたが、直線では良く伸び、6着に入った。
有馬記念から2日後の12月25日、愛馬会法人であるサラブレッドクラブセゾンから、所属を美浦の稲葉隆一厩舎に変更させる旨が発表された。当年未勝利の高田を有馬記念で起用するなど、松田博資厩舎との間に方針の違いが生じたことが理由だという。なお当馬は12月26日にビッグレッドファーム鉾田へリフレッシュ放牧に出された。転厩の手続きは帰厩するまでに行われた。
2008年、リフレッシュ放牧を終え、1月10日に稲葉隆一厩舎へ入厩した。転厩初戦は1月27日のアメリカジョッキークラブカップとなり、8人目の鞍上となる松岡正海が初騎乗して出走。しかし、4コーナーで早めに先頭に立つものの、最後まで粘れず5着に敗れた。続いて京都記念に出走。内から伸びてくるが届かず4着だった。その後の大阪杯でも同様に内で伸びきれず4着だった。そして迎えた大一番の天皇賞(春)では9着に終わった。
6月12日には第48回宝塚記念ファン投票の最終結果で8位となる32019票を獲得したことが発表され、6月29日に行われる宝塚記念へ出走。松岡はコスモバルク(後に故障で回避)に騎乗予定だった為、蛯名正義が騎乗したが、9着に終わり、3歳時の走りを取り戻せないでいた。
宝塚記念後は放牧に出され、9月26日に帰厩した。帰厩後は秋の初戦となる毎日王冠に向けて調整。そして新たに鞍上に三浦皇成を迎え、毎日王冠に出走。得意の1800m戦だったが、見せ場無く11着に終わった。その後、アルゼンチン共和国杯に向けて調整が進められたが10月31日に左前脚屈腱炎を発症し、11月4日に引退し、北海道恵庭市のすずらん乗馬クラブで乗馬になる事が馬主側から発表された。
2024年2月14日に死亡した。21歳没。
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