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セキテイリュウオー


セキテイリュウオー


セキテイリュウオー(欧字名:Sekitei Ryu O、1989年4月30日 - 2011年4月13日)は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に1993年の日刊スポーツ賞金杯 、1994年の東京新聞杯。

現役時代

1991年12月1日、中山競馬場での新馬戦で蛯沢誠治の騎乗でデビューし2着、2戦目の折り返しの新馬戦で初勝利を挙げる。年明けて500万クラスの条件戦で6着、3着、2着としたのち皐月賞指定オープンの若葉ステークスに駒を進め、エアジョーダン、マヤノペトリュースの重賞勝ち馬2頭などを抑えて制した。クラシック第一冠の皐月賞は3番人気もミホノブルボンの6着、大一番の東京優駿も二冠達成のミホノブルボンの9着に終わり、レース後骨膜炎が判明し休養。休み明けで出走した菊花賞は13番人気もライスシャワーの6着、古馬との初対戦のディセンバーステークスでフジヤマケンザンの2着とした。

1993年は日刊スポーツ賞金杯から始動してカリブソングをアタマ差押さえて優勝するが、その後の重賞戦線では勝ちきれない競馬が続き、宝塚記念でメジロマックイーンの4着としたあと脚部不安で放牧に出される。秋は毎日王冠から使い出してシンコウラブリイの2着、続く天皇賞(秋)では6番人気ながらヤマニンゼファーと「息詰まる」とも評される大接戦を演じた末にハナ差の2着とした。この接戦のさなか、残り20メートルで鞍上の田中勝春が鞭を落とすハプニングもあり、のちに田中は最も悔しい敗戦にこのレースを挙げている。天皇賞の後、確勝を期してディセンバーステークスに出走して勝利したが、続く有馬記念ではトウカイテイオーの7着に終わった。

1994年は東京新聞杯から始動し、有馬記念でパトロールタワーの影を飛び越えたという事象の対策としてシャドーロールを着用。レースでは59キロの斤量を背負いつつ勝利をおさめ、安田記念を春の最大目標に定めて調整を進めていた矢先、橈骨に骨膜炎を発症して休養を余儀なくされる。秋に毎日王冠から復帰してネーハイシーザーの8着ののち、続く天皇賞(秋)ではネーハイシーザーの2着に入ったが、その後は満足にレースに使えず、1995年は高松宮杯7着の1走のみ、1996年は東京新聞杯と中山記念の2走のみの出走に終わり、サクラローレルの9着に終わった中山記念が最後の競走となった。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.comおよびJBISサーチに基づく。

引退後

引退後は種牡馬となったが、12年の種牡馬生活で血統登録されたのは65頭、そのうちJRAで勝利を挙げた馬は初年度産駒のカワキタアラシただ1頭に終わるなど不振に終わった。

2009年に種牡馬を引退し、その後は北海道日高郡新ひだか町の荒木育成牧場にて功労馬として繋養されていたが、2011年4月13日、病気のため死亡した。

血統表

  • 半妹レインボーファストの産駒にエースインザレース(兵庫ジュニアグランプリ)、孫にレインボーライン(天皇賞・春など)、アニメイトバイオ(ローズステークス)がいる。

脚注

出典

参考文献

  • 「関西競馬四季報 1994春季号」『競馬ブック』第15巻第1号、ケイバブック。 
  • 「関西競馬四季報 1994秋季号」『競馬ブック』第15巻第3号、ケイバブック。 

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビJBISサーチ
  • セキテイリュウオー - 競走馬のふるさと案内所

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: セキテイリュウオー by Wikipedia (Historical)


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