![江南市 江南市](/modules/owlapps_apps/img/nopic.jpg)
江南市(こうなんし)は、愛知県の北部に位置する市。
愛知県尾張地方の北部にある自治体であり、岐阜県との県境となる木曽川の南に面している。名古屋市のベッドタウンとなっている。
1954年(昭和29年)6月1日に丹羽郡古知野町・布袋町、葉栗郡宮田町・草井村の3町1村が合併し江南市が発足。いわゆる「昭和の大合併」で設立された市である。
町村合併促進法制定当初は古知野町の主導により同町と宮田町、草井村による2町1村合併による西丹市が構想され、協議の過程で市名を古知野市に改めて県に申請した。しかし当該町村域では中心市街地の戸数が全体の4割程度であり、市制施行要件を満たさないとして、愛知県町村合併促進審議会はこれを却下した。審議会は布袋町が加われば合併を許可する見解を示したが、布袋町は丹羽郡大口村(現・大口町)・千秋村(現・一宮市千秋町)との合併協議を進めようとしていた所であった。
布袋町は古知野町ほか2町1村に対し「市名の変更」「市庁舎を古知野町・布袋町間の適地に新築する」ことを合併条件として提示し、これを2町1村が拒否したことで交渉は暗礁に乗り上げた。一方、愛知県では2町1村による市制施行が可能か自治庁に確認を行ったが、2町1村(世帯戸数3万3000)では市制を許可しないとの回答を受け、審議会および県知事は関係自治体に3町1村による合併を再勧告した。再勧告により協議が再開され最終的に各自治体とも合併に合意した。市名には旧町村名を用いないことになり、これまでの紆余曲折からその選定も紛糾することが予想されたため、命名は県知事の桑原幹根に一任された。市井の間では丹羽市、久和野市、尾北市などが候補として噂された。
桑原が最初に提案したのは桑野市であった。この地域は養蚕業が盛んであり、蚕業試験場があり桑畑が広がっていた布袋町を「桑」で表し、それと古知野の「野」を組み合わせたものであった。しかし奇しくもこの組み合わせは桑原の「桑」と副知事(水野鐘一)の「野」とも捉えることができたため、そう解釈した者から批判にさらされた。桑原は全くの偶然とし、そのような解釈は不本意であったが、桑野(くわの)では比較的近隣の三重県桑名(くわな)市と響きが似て紛らわしいという指摘もあり、結局「桑野市」案は取り下げられた。
桑野市に代わって桑原が提案したのが現行市名の江南市である。これは「木曽川の南」を意味しているが、木曽川を「江」と表現したのは杜甫の漢詩「江南逢李亀年」に由来する。桑原は別案を考えるにあたって市域北部を流れる木曽川に着目したが、その雄大さを表現するにあたり揚子江(長江)の景観をしたためた杜甫の漢詩が頭に浮かんだ。そして木曽川は日本の代表的な川の一つであり、「江」と呼ぶに相応しいとして「江」の南、すなわち「江南」と命名したという。
市結成当初は暫定で旧・古知野町役場を市役所として使用したが、布袋町が主張していた「布袋町寄り」の市役所は昭和30年代に入って布袋町と古知野町の境界にあたる現在の赤童子町大堀に建設され、現在も使用されている。
2022年現在では、江南市古知野町から布袋町に至るまで、市街地が途切れずにつながっている。またこの市街地は北側の旧宮田町や旧草井村の一部にも達しており、合併した4つの町村は市街地として完全に一体化したものといえる。
この選挙は定数1名に対し立候補者1名で無投票となったが、市ホームページ、メール、LINEで広報されただけだったため、インターネットが使えない住民らが多数投票に行ってしまう事態となった。
2005年に開催された愛知万博では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われた。名古屋市を除く愛知県内の市町村が120の万博公式参加国をフレンドシップ相手国として迎え入れた。
工業が盛んである。タキヒヨーグループを創業し、滝学園創立に尽力した瀧家の出身地としても知られる。かつて瀧文庫があった。
江戸中期に始まった養蚕の伝統を持つ。カーテンに使用する生地繊維製品の生産量は日本一である。
電子製品、ゲームソフトで有名なサン電子株式会社は江南駅の近くにある。 食品では森永乳業中京工場、ハウス食品子会社のサンハウス食品などが点在する。
近年では交通の便・立地条件の良さから、中京コカコーラボトリング・エスエス製薬・スズケン・トラスコ中山など市北東部に物流拠点を築く企業も多数ある。
近年では、経済面で貢献の大きかった敷島紡績(現・シキボウ)の江南工場が2003年に株式会社シキボウ江南として分離され、工場敷地の一角にヴィアモール江南(アピタ江南西店)と天風の湯(スーパー銭湯)が建設された。
、現在では県道名古屋江南線、江南関線、一宮犬山線などの幹線道路沿いに多く立地している。
江南市では、電気は中部電力株式会社(中電)、都市ガスは東邦瓦斯株式会社(東邦ガス)がそれぞれ供給している。
電気の供給が開始されたのは江南市発足前の大正時代である。前身の4町村のうち、布袋町・古知野町への供給が1913年(大正2年)5月より開始された。事業者は中島郡一宮町(現・一宮市)に本社を置く一宮電気で、1915年(大正4年)時点では2町のほか宮田村も供給範囲に加えている。このほかにも丹羽郡犬山町(現・犬山市)に本社を置く尾北電気も進出しており、1918年(大正7年)時点では草井村および古知野町の一部を供給範囲に入れていた。現在の市域に電気を供給していたこれら2社は後に名古屋電灯へ吸収され、大正後期には東邦電力(東邦ガスの元・関連会社)の供給範囲に組み入れられた。戦時下の配電統制で中部配電の供給区域となるが、戦後1951年(昭和26年)に中部電力へ継承されて現在に至っている。
都市ガスの供給は江南市発足後で、1957年(昭和32年)4月に開始された。当時は東邦ガスではなく、津島市に本社を置く津島ガスが江南市の誘致に応じて供給していた。東邦ガスも1985年(昭和60年)5月に市内一部地域で供給を開始。2005年(平成17年)7月、東邦ガスが津島ガスの江南地区における事業を譲り受け、現在に至っている。なお、市内にガス工場が設置されており東邦ガスは「江南製造所」として引き継いだものの、都市ガスの天然ガス転換に伴い2005年12月に操業を停止した。
上水道は1975年(昭和50年)3月31日に厚生省から認可を受けて開始された江南市水道事業のほか、市内に3つの簡易水道(草井簡易水道・草井南部簡易水道・南野簡易水道)と、江南団地専用水道が整備・運用されている。市水道事業は市内15ヶ所(1ヶ所は休止中、5ヶ所は予備)の深井戸による自己水源と愛知県営水道からの受水が行なわれているが、簡易水道は5ヶ所の自己水源、江南団地専用水道は4ヶ所の自己水源によってまかなわれている。
下水道は名古屋港海域等流域別下水道整備総合計画に基づき、五条川右岸流域下水道による処理が行なわれている。1993年度(平成5年度)に事業着手、2002年(平成14年)8月から一部区域での供用を開始した。下水は五条川右岸浄化センター(岩倉市)で処理されたのち、五条川に放流される。令和2年3月31日現在の利用(供用)区域の面積は、636.6haとなっている。
NTTの市外局番は市内全域0587(一宮MA)が使用される。
市内局番は主として50 - 59などが使用される。なお0587の江南市、岩倉市、扶桑町、大口町及び稲沢市から、市外局番0586(市外局番が違うが、同じ料金区域に属する)の一宮市と稲沢市の一部、各務原市川島地区とは市内通話料金で電話がかけられる。
近隣だが名古屋市(052)犬山市、小牧市(以上0568)、岐阜市(058)、各務原市(川島以外は058)などは別料金区域となる。
市の中心となる駅:江南駅
江南市東部の江森町、山尻町などからは、市の境界に近い柏森駅(扶桑町)を利用する人も多い。江南駅・布袋駅は隣接の一宮市、各務原市、大口町からの利用者も有る。
NEXCO中日本の運営する高速道路のICは、東名高速・中央自動車道方面からは小牧IC、名神高速・東海北陸自動車道方面からは一宮木曽川ICが最寄。中央自動車道は小牧東IC、名神高速は一宮ICを利用することも可能。
名古屋高速道路では、小牧ICに隣接する名古屋高速小牧線の小牧北出入り口、もしくは名古屋高速一宮線の一宮中入口(名古屋方面行きの入口のみ)・一宮東出口(名古屋方面からの出口のみ)が最寄となるが、江南市から名古屋市方面に向かう場合には一宮中入口が、名古屋市方面から江南市に向かう場合には小牧北出口がそれぞれ接続交差点の関係上左折となるので便利である。
このほか、神明小網橋(江南市道・各務原市道)が当市宮田神明町と各務原市川島小網との間の木曽川南派川に架橋され、各務原市内の木曽川本流に掛かる各務原大橋と連動する形で当市高屋町(県道江南関線~一宮犬山線。古知野町・江南駅方面にも接続)と各務原市西部(自衛隊基地の北側で国道21号線と交差。国道交差点の北側に各務原市役所が所在)とを結ぶルートとなっている。
車検証の住所(使用者)が本市にある自動車には、尾張小牧ナンバーが交付される。
かつて、岐阜県各務原市との間に流れる木曽川で草井渡船が運行されていた。
なお、夏のイベントとして江南市民サマーフェスタ(1976年に「江南七夕まつり」として開始)が開かれ、徳島藩の藩祖・蜂須賀家政が江南市出身であることから徳島市との交流の一環で1994年から阿波おどり大会が開催されていたが、2018年と2019年は猛暑で踊りが取りやめとなり、その後もコロナ禍で中止が続いたため、2023年5月24日の運営委員会で廃止が決定された。
江南市のマスコットキャラクターとして「藤花ちゃん」(ふじかちゃん)がある。2004年(平成16年)の市制50周年キャラクターとしてデザインされた。デザインは市内在住の漫画家くらはしかん。愛称は一般公募で決められ、広報こうなんの表紙等に使用されている
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