柳葉 敏郎(やなぎば としろう、1961年1月3日 - )は、秋田県を拠点に活躍する日本の俳優、歌手、タレント。愛称はギバちゃん、ジョニー、柳葉リーダー。
秋田県大仙市(旧仙北郡西仙北町)出身・在住。融合事務所所属。趣味は、ボウリング、ゴルフ、スキー、テニス、野球。身長171cm、体重60kg、血液型:O型。
映画館の看板絵師をしていた父(名前は四郎)と、小学校の教員だった母の間に長男として生まれる。父が稼ぎを全く渡さなかったため、母は子供たちを連れて仙北郡刈和野町(現在の大仙市)にある自身の実家に戻った。母は自身の母と弟夫婦に敏郎の養育を託し、生活費を稼ぐために仕事に勤しむ生活を送った。一方、別居して一人暮らしとなった父は敏郎が8歳の時に脳溢血のため38歳で急逝。父には敏郎の実母と結婚する前に2年ほどで経済的な理由によって別れざるを得なかった前妻がおり、その間には敏郎の姉に当たる娘がいたことが後になって判明する。
その後、母の再婚により継父の姓である柳葉姓となる。秋田県立角館高等学校に入学し、同校に通うため角館町(現在の仙北市)内で下宿、卒業後、大学受験に失敗し浪人中の18歳の頃に日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』へ応募し、テレビ予選に出場。しかし、合格ラインである300点に達せず(173点)、挑戦者全員(本人を含めて5人)が落選だったため、司会者の萩本欽一から「バンザイ、無しよ!」の洗礼を受けた(1979年9月23日放送)。
それがきっかけで上京、劇団ひまわりに入団。柳葉の発言によると上京の夢はあったが、芸能人になろうとは思っていなかったとのこと。しかし、高校の同級生に柳葉のライバルがおり、その同級生が上京したため、勝負するには同じ東京で一旗あげなければならないと考え芸能界入りした模様。その後、渋谷のディスコ仲間達でNHK前の路上で寸劇をしていた「劇男零心会」に加わる。その後、「劇男一世風靡」を結成。劇男一世風靡のメンバーの中から結成された「一世風靡セピア」のメンバーとして歌手デビューし、当時の若者の代表格的存在となる。
1983年9月に放送開始したバラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』に「良川先生」としてレギュラー出演。この際、萩本欽一がオーディション終了後「オーディション終わって何の予定もない寂しい奴にいいことあったっていいじゃない。だから一番早く帰宅した人を採用する」と決め、関係者にオーディション参加者の家に電話を掛けさせたところ、最初につながったのが柳葉だったというエピソードがある。
しかし、長年語られてきたこのエピソードは間違いであることが『週刊アサヒ芸能』での萩本の連載により判明した。これによると、萩本はよくオーディションの後に「誰かを呼び戻せ」と言う事が多かった為、それを危惧したスタッフがオーディション参加者の中から5名をスタジオ内に待機させていた。しかし、スタッフの予想に反し萩本が「1時間後に家に電話して、一番早く出た奴を採用する」と言い出したため、スタッフが待機者5名の中から柳葉を選び、「電話をかけて最初に出たのが柳葉」ということにしたというのが真相。
これはスタッフと柳葉の間での秘密で、萩本も真相を知らなかった。しかし、この事に長年違和感を感じていた萩本が30年経って当時のディレクターに質問したところ、「もう時効なので話します」と打ち明けてくれたのだという。
萩本は「真相は違っても、スタッフの中から選ばれたのは彼の持っている運だ」と感じたとともに、「柳葉は最後までずっとスタッフとの約束を守り、僕に真相を言わなかった。本当に男らしい」と語っている。
1988年以降は多くのトレンディドラマに出演し、芸能界内で元祖トレンディ俳優と言われるようになる。その後、1997年から放送された『踊る大捜査線』シリーズの室井慎次役は一番の当たり役となり、2005年に主演を務めた派生映画『容疑者 室井慎次』はヒット作となった。
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