フアン・デ・ディオス・エンカーナシオン(Juan De Dios Encarnación, 1976年3月8日 - )は、ドミニカ共和国サン・フアン州ラス・マタス・デ・ファルファン出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
メディアによってはエンカルナシオンと表記されることもある。
1992年にデトロイト・タイガースと契約してプロ入り。
1993年に母国のドミニカン・サマーリーグ・タイガースでプロ生活を始めた。
1994年にアメリカ合衆国へ渡り、アパラチアンリーグのルーキー級ブリストル・タイガースとA級ファイエットビル・ジェネラルズでプレーしたが、当初は生活環境に馴染めず伸び悩んだ。
1995年はA級ファイエットビルでプレーした。
1996年はA+級レイクランド・タイガースでプレーした。
1997年はAA級ジャクソンビル・サンズで打率.323、26本塁打、90打点を記録し、サザンリーグのオールスターに選出され3本塁打を含む4打数4安打6打点を記録した。9月のロースター拡張に伴ってメジャー昇格を果たし、9月2日にメジャーデビュー。9月14日に全治2か月の左手骨折の重傷を負い、シーズンを終えた。
2001年12月11日にドミトリー・ヤングとのトレードで、ルイス・ピネダと共にシンシナティ・レッズへ移籍した。
2002年7月11日にライアン・デンプスターとのトレードで、ウィルトン・ゲレーロ、ライアン・スネアと共にフロリダ・マーリンズへ移籍した。同年は両チームで自己最高のシーズン24本塁打を記録した。
2003年はニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズを制し、球団史上6年ぶり2度目のワールドシリーズ優勝を果たし、エンカーナシオン自身は初めてワールドシリーズ優勝を経験した。
2003年12月13日にマイナー選手と1対1のトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。
2004年7月30日にブラッド・ペニーを含む計3人とのトレードで、ポール・ロデューカ、ギレルモ・モタと共に古巣マーリンズへ移籍した。
2005年12月27日にラリー・ウォーカーの後釜としてセントルイス・カージナルスと3年総額1,500万ドルの契約で移籍した。
2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のドミニカ共和国代表に選出された。
シーズンではタイガースとのワールドシリーズを制し、ワールドシリーズ優勝を果たしたため、エンカーナシオン自身も3年ぶり2度目のワールドシリーズ優勝を経験した。
2007年8月31日の試合時に、ネクストバッターズサークルで前打者アーロン・マイルズのファウルライナーが顔に当たり、大ケガ(左目の骨折、打撲)をした。これが致命傷となり、当初は現役続行を目指していたが引退した。引退後は故郷のドミニカ共和国に戻り、慈善事業に参加している。
メジャーデビュー当初は驚異的なパワーとアベレージを兼ね備えた打撃、俊足を生かした抜群の外野守備を誇ると言われていた。また、「若い頃のバリー・ボンズに似ている」と専門家から評価されることもあった。
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