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アンドレス・ガララーガ


アンドレス・ガララーガ


アンドレス・ホセ・パドヴァニ・ガララーガAndrés José Padovani Galarraga , 1961年6月18日 - )は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手(一塁手)。右投右打。

現役時代は「ビッグ・キャット」という愛称で親しまれた。

経歴

エクスポズ時代

1978-79シーズンにベネズエラのウィンターリーグでデビュー。当時モントリオール・エクスポズの監督だったフェリペ・アルーの推薦で、1979年1月にドラフト外でエクスポズと契約。1984年にはマイナーリーグの2AでMVPを受賞。

1985年には3Aでルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、メジャーに昇格。8月23日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビューを果たす。同年、24試合に出場し、打率.187、2本塁打を記録している。

1986年は105試合の出場で、打率.271、10本塁打、42打点を記録。

1987年は打点を90の大台に乗せ(90) 、打率も3割を記録した(.305) 。

1988年はデビュー3年間の通算本塁打25本を上回る、シーズン29本塁打を記録。オールスターゲームに初めて出場した。打撃面での活躍が評価されて、この年にシルバースラッガー賞を受賞。

1989年から1990年の2年間は打撃面では打率が2割5分台だったが、守備面での活躍を評価され、2年連続でゴールドグラブ賞に選出されている。

1991年は本塁打が2桁に届かず、打率も2割2分を下回った。ルーキーイヤーを除いたデビュー以来、自己最低の数字に終わってしまう。

カージナルス時代

1991年11月25日にケン・ヒルと交換で、セントルイス・カージナルスへとトレード移籍。

1992年シーズン2試合目4月7日のニューヨーク・メッツ戦で、死球により右手首を骨折。この故障で44日間故障者リスト入りしたため、前年よりも少ない出場試合数となったが、前年より多い本塁打と打点を記録。シーズン終了後FAとなった。

ロッキーズ時代

1992年オフにコロラド・ロッキーズと契約した。

ロッキーズ移籍1年目の1993年は120試合の出場で、本塁打22、打点98を記録。更に打率.370を記録し、首位打者のタイトルを獲得。右打者ではジョー・ディマジオが1939年に打率.381を記録して以降最高だった。また、ベネズエラ出身選手として初の打撃タイトル獲得となった。そしてカムバック賞も受賞。

1994年は1994年から1995年のMLBストライキのあった年だったが、ガララーガは打率.319、31本塁打、85打点という成績を残した。

1995年には自身初の100打点を突破(106)。

1996年は自己最高の159試合に出場で、打率.304、47本塁打、150打点を記録し、自身初の本塁打王と打点王のタイトルを獲得。更に、シルバースラッガー賞にも選出された。

1997年は154試合に出場で、打率.318、41本塁打、140打点と前年より本塁打・打点の数字が落ちたものの、2年連続で打点王のタイトルを獲得している。

ブレーブス時代

1997年シーズン終了後、ロッキーズはガララーガに対し2年契約を提示したが、ガララーガはワールドチャンピオンになるため、フレッド・マグリフの後釜としてアトランタ・ブレーブスへ3年総額2480万ドルでFA移籍した。

1998年は打率.305、44本塁打、121打点を記録。

1999年に非ホジキンリンパ腫という癌の告知を受ける。その為、癌の治療に専念。

2000年に癌細胞が消え去ったため復帰し、2度目のカムバック賞を受賞した。オフにFAとなった。

レンジャーズ時代

2000年オフにテキサス・レンジャーズへ入団した。

ジャイアンツ時代

2001年7月24日にチーフ・マグルダー、エラスモ・ラミレス、トッド・オジアスの3選手と交換にサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。打率.256、17本塁打、69打点の成績を残したが、オフにFAとなり、NPBの中日ドラゴンズがマーク・マグワイアやホセ・カンセコらとともに新外国人候補としてガララーガをリストアップしていたものの、獲得はならなかった。

エクスポズ復帰

2002年3月7日にモントリオール・エクスポズと契約を結んだ。この時はレギュラーポジションを確保するには至らなかったものの、104試合に出場。

ジャイアンツ復帰

2002年オフに再びサンフランシスコ・ジャイアンツに入団した。

2003年は2000年以来となる打率.300を記録。しかし11月に癌が再発し、入院する事になってしまった。ガララーガは再入院となった時、この事を外部へは一切知らせなかった。

エンゼルス時代

2004年8月6日、復活したガララーガはアナハイム・エンゼルスと契約を結んだ。7試合に出場して本塁打1を記録。通算本塁打を399本とした。同年の11月1日にFAとなった。

ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。しかし、翌2005年の春季キャンプ中の3月29日、若手にチャンスを与えるため引退を発表した。

ベネズエラ出身選手としての最多本塁打記録を保持していたが、2015年5月16日にミゲル・カブレラに更新された。

2009年3月に第2回WBCのベネズエラ代表コーチを務めた。

2013年3月に第3回WBCのベネズエラ代表コーチを務めた。

選手としての特徴

詳細情報

年度別打撃成績

  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞

タイトル

  • 首位打者:1回(1993年)
  • 本塁打王:1回(1996年)
  • 打点王:2回(1996年、1997年)

表彰

  • シルバースラッガー賞(一塁手部門):2回(1988年、1996年)
  • ゴールドグラブ賞(一塁手部門):2回(1989年、1990年)
  • カムバック賞:2回(1993年、2000年)※複数回の受賞は史上5人目
  • 月間MVP:2回(1993年6月、1993年9月)
  • 週間MVP:5回(1988年5月23日 - 29日、1988年5月30日 - 6月5日、1988年6月27日 - 7月3日、1993年5月31日 - 6月6日、1995年7月3日 - 9日)

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:5回(1998年、1993年、1997年、1998年、2000年)
  • 通算三振数:2003(歴代6位)

コーチ歴

  • 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・ベネズエラ代表
  • 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・ベネズエラ代表

脚注

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 G
  • ベネズエラ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: アンドレス・ガララーガ by Wikipedia (Historical)



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