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一龍斎貞山


一龍斎貞山


一龍斎 貞山(いちりゅうさい ていざん)は、講釈師の名跡。

  • 三代目一龍斎貞山 - 後∶初代錦城斎一山
  • 五代目一龍斎貞山 - 後∶三代目錦城斎典山

初代

本名や生年は不明。浅草龍宝寺と早稲田宝泉寺の2ヶ所に墓所があり、没年を前者は安政2年9月2日(1855年10月12日)、後者は安政5年8月5日とする。『武功年表』の記述から、後者の信憑性が高い。

初代錦城斎典山の門下。関根黙庵『講談今昔譚』では、隻眼だったために同じ隻眼の伊達政宗の法名の「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」に因んで貞山と号したと伝わる。得意演目は「伊達評定」。

2代目

本名や生年は不明。関根黙庵『講談今昔譚』では、本名は杉江某、御家人の出自だとされる。天保10年(1839年) - 明治7年(1874年)3月14日。36歳で死去した。

初代貞山の門下で、初代双龍斎貞鏡、初代真龍斎貞水を経て、2代目一龍斎貞山を襲名した。矢ノ倉に住んだため、「矢ノ倉の貞山」と呼ばれた。世話物を得意とした。1858年に「岩見重太郎実記」を上梓。

4代目

本名:杉江勝太郎、安政元年(1854年) - 明治23年(1890年)5月19日。享年37。

父は地方廻りの講釈師一龍斎貞昇。3代目一龍斎貞山に入門し、初代一龍斎貞花から初代昇龍斎貞丈を経て、1885年、3代目一龍斎貞山が初代錦城斎一山と改名したのに伴い、4代目一龍斎貞山を襲名するが、間もなく胸腔内動脈瘤で死去した。

6代目

六代目 一龍斎 貞山(1876年11月26日 - 1945年3月10日)は、講談師。本名∶桝井 長四郎

経歴

1876年(明治9年)11月、東京府銀座(現在の中央区)の袋物商「富田屋」に生まれる。

11歳で四代目一龍斎貞山に入門し、三代目一龍斎貞花を名乗る。師が没したため、預り弟子として五代目一龍斎貞山門下へ移る。

初代邑井吉瓶、初代伊藤痴遊の後見で三代目一龍斎貞丈を襲名し21歳で真打昇進。1907年(明治40年)、六代目一龍斎貞山を襲名。

1945年(昭和20年)3月10日、アメリカ軍による東京大空襲に被災し隅田川で死去。

芸歴

  • 1887年 - 四代目一龍斎貞山に入門、「貞花」を名乗る。
  • 1890年 - 四代目一龍斎貞山が没したため、五代目一龍斎貞山門下へ移籍。
  • 1897年 - 真打昇進、「三代目一龍斎貞丈」を襲名。
  • 1907年 - 「六代目一龍斎貞山」を襲名。

人物

三代目神田伯山、二代目大島伯鶴と共に売り出し、「釈界の三羽烏」と評された。

その流れるような調子から「水道の蛇口」と評された上に、多様な演目を持ち、特に「義士伝」はお家芸であった。

講釈師でありながら落語協会の頭取を務め、色物の寄席にも積極に出演した。

7代目

七代目 一龍斎 貞山(1907年6月2日 - 1966年12月7日)は、講談師。本名∶佐藤 貞之助。東京府生まれ。

経歴

1907年(明治40年)6月、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)に生まれる。東京市猿江尋常小学校卒業。

1922年(大正11年)3月、六代目一龍斎貞山に入門し、本名から一龍斎貞之助を名乗る。1931年(昭和6年)3月、六代目一龍斎貞鏡と改名し、真打昇進。1947年(昭和22年)3月、七代目一龍斎貞山を襲名。

1966年(昭和41年)12月7日、脳出血により死去。

芸歴

  • 1922年3月 - 六代目一龍斎貞山に入門、「貞之助」を名乗る。
  • 1931年3月 - 真打昇進、「六代目一龍斎貞鏡」と改名。
  • 1947年3月 - 「七代目一龍斎貞山」を襲名。

人物

道具仕掛けの怪談物を得意とし、「お化けの貞山」の異名を取った。一方、「義士伝」や「荒木又右衛門」といった古典もよく読んだ。また講談組合の副頭取を長く務めた。

落語家の五代目古今亭志ん生の芸を、その無名時代から高く評価し、何かと援助した事でも知られる。

弟子

廃業

  • 一龍斎鏡之助 - 泥棒癖があり、栃木訛りを直すのに苦労したという。

8代目

八代目 一龍斎 貞山(1947年9月3日 - 2021年5月26日)は、講談師。本名∶小村井 貞夫

経歴

1947年、七代目一龍斎貞山の長男として東京都新宿区牛込に生まれる。1966年に父が没したため、四代目神田伯治の養子になる。立正大学文学部国文科卒業。

1970年4月1日、四代目神田伯治門下に入り、上野本牧亭で初高座。1971年、二ツ目昇進。1977年、真打に昇進し八代目一龍斎貞山を襲名。

1989年、文化庁芸術祭賞受賞。2001年、講談協会理事に就任。

2021年5月26日、心不全のため、東京都内の病院で死去。73歳没。

芸歴

  • 1970年4月 - 四代目神田伯治に入門、前座名「伯梅」。
  • 1971年 - 二ツ目昇進。
  • 1977年 - 真打昇進、「八代目一龍斎貞山」を襲名。

受賞歴

  • 1989年 - 文化庁芸術祭賞

弟子

  • 七代目一龍斎貞鏡 - 貞山死去の時点で二ツ目だったため、五代目一龍斎貞花門下に移籍。

関連項目

  • 一龍斎貞鏡

脚注

外部リンク

  • 一龍齋 貞山 - 講談協会

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 一龍斎貞山 by Wikipedia (Historical)


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