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エリック・デービス


エリック・デービス


エリック・キース・デービスEric Keith Davis, 1962年5月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手(外野手)。ニックネームは「Eric the Red」。

経歴

1980年のMLBドラフトでシンシナティ・レッズから8巡目(全体200位)で指名を受け入団。1984年5月19日のセントルイス・カージナルス戦でメジャーデビュー。9月には球団史上1978年のジョージ・フォスター以来となる4試合連続本塁打を記録。その後、好成績を残し、外野手として1987年から3年連続ゴールドグラブ賞を受賞している。

1986年に27本塁打・80盗塁を記録し、リッキー・ヘンダーソンに次いで史上2人目の「20本塁打・80盗塁」を達成。1987年は4月・5月と2か月連続で月間MVPに選出され、オールスターゲーム初選出を果たした。37本塁打・50盗塁を記録し、「The 30-30 Club」(30本塁打30盗塁達成)の一員となった。

1990年にはレッズの四番打者としてワールドシリーズ制覇に貢献した。そのワールドシリーズ第4戦でのダイビングキャッチで肘がわき腹に入り腎臓を傷め途中退場。シーズンオフに手術した影響で成績を落とし、1991年シーズン終了後にロサンゼルス・ドジャースにトレード、さらに1993年途中にはデトロイト・タイガースにトレードされる。1994年5月に椎間板ヘルニアのため3週間戦線離脱。復帰後も症状は回復せず、7月26日の出場を最後に一度現役を離れる。

1996年、レッズで復帰し、打率.287、26本塁打を記録。その後、FAでボルチモア・オリオールズへ移籍。1997年、4月は打率.377・5本塁打・16打点を記録し、第4週には打率.560・5本塁打・13打点の成績で週間MVPに選出され、開幕から地区1位の原動力となった。しかし、デービスが5月26日に腹部の痛みを訴え、医師は当初、膿瘍と診断したが、X線撮影で野球ボール大の結腸癌が発見された。転移は発見されず、6月13日に結腸切除を行い、その後は週1回の投薬治療が行われた。チームメイトは帽子やヘルメットにデービスの背番号「24」をつけ「デービスのためにも勝つ」と意思表示。

完治まで18か月かかると見られていたが、デービスは予想を上回る速さで回復し、9月15日にメジャー復帰。ア・リーグチャンピオンシップシリーズ第5戦では決勝ホームランを放った。ワールドシリーズ進出はならなかったが、癌克服後にロサンゼルスやボルチモアの癌センターへの寄付を積極的に行ったデービスはシリーズ第4戦が行われた10月22日、ジェイコブス・フィールドでロベルト・クレメンテ賞が贈られた。

1998年には打率.327・28本塁打を記録。その後、セントルイス・カージナルス、サンフランシスコ・ジャイアンツでプレーし2001年に引退。1999年には自叙伝『Born To Play』を出版している。

年度別打撃成績

獲得タイトル・表彰・記録

表彰

  • シルバースラッガー賞 2回:1987年, 1989年
  • ゴールドグラブ賞 3回:1987年 - 1989年
  • ロベルト・クレメンテ賞:1997年
  • カムバック賞:1996年
  • ハッチ賞:1997年
  • トニー・コニグリアロ賞:1997年
  • 1986年 「80盗塁・20本塁打」を記録(リッキー・ヘンダーソンに次いで史上2人目)
  • 1987年 「30本塁打・30盗塁」を記録(史上8人目)
    • 同年「30本塁打・50盗塁」は史上初(他に1990年のバリー・ボンズ、2023年のロナルド・アクーニャ・ジュニアの3例のみ)
  • サイクルヒット 1回:1989年4月2日
  • 30試合連続安打:1998年(オリオールズの球団記録)
  • MLBオールスターゲーム選出 2回:1987年, 1989年


脚注・出典

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: エリック・デービス by Wikipedia (Historical)