![舘ひろし 舘ひろし](/modules/owlapps_apps/img/nopic.jpg)
舘 ひろし(たち ひろし、1950年〈昭和25年〉3月31日 - )は、愛知県出身の俳優、シンガーソングライター。東映俳優センター、石原プロモーションに所属した後、現在は舘プロ所属。本名は舘 廣(読み同じ)。
身長180 cm・体重68 kg。
愛知県名古屋市中区老松町生まれ。名古屋市立新栄小学校から名古屋市立白山中学校卒業。小学生のころは鈍臭かったため、当時は「どんくさ舘」と呼ばれていた。
愛知県立千種高等学校ではラグビー部の主将を務めた。医者になりたかったが勉強をろくにせず医大の試験に落ち、絵画が好きだったことから建築家になろうと決めた。二浪して千葉工業大学に入学。同大学の千種寮に入るがその厳しさに夜逃げし、学生の間で「夜逃げの四棟」と呼ばれる伝説となっている。在学中、ピーター・フォンダ主演のアメリカのバイカー映画を見てバイクに憧れ、遊びに夢中になる。革ジャンにサングラスで、大型バイクにまたがり、やがて東京・原宿でオートバイチーム「COOLS」を結成。それが芸能関係者の目に留まる。デビュー後も同大に長らく在籍したままだったが、中退した。休学中も母親が実家の名古屋から毎年上京し本人に内緒で10年間の学費を納め続けていたという。
2021年3月22日、千葉工大特別卒業認定制度に基づいて、入学から51年を経て卒業証書を授与された。千葉工業大学工学部建築学科卒業。
その後は岩城滉一とともに原宿・表参道を拠点にした硬派バイクチーム「クールス」を総括。矢沢永吉がリーダーだったロックバンド「キャロル」の親衛隊として有名となり、キャロルの解散コンサートのDVDにも登場している。
1975年、バイクチーム「クールス」からの選抜メンバーで結成されたロックバンド「クールス」のボーカルとして『紫のハイウェイ』(矢沢永吉(五大洋光)作曲)でデビュー。1977年のソロデビューの際には、"太ったブタが勝つか、しなやかな狼が勝つか"とのキャッチフレーズでプロモーションに打って出て、矢沢を挑発するものとして話題を呼んだ。
また、当時の東映社長・岡田茂に誘われ東映に籍を置き、『東映俳優センター』に所属、俳優としてのキャリアもスタートさせる。1976年、映画『暴力教室』で銀幕デビューを果たし、バイクを乗り回す不良生徒役で、主演で教師役の松田優作と殴り合う姿は鮮烈な印象を残した。同作を観た岡田茂東映社長が、東映での舘の売り出しを指示し、同年『男組 少年刑務所』で映画初主演。1978年には『皮ジャン反抗族』(長谷部安春監督)、1980年『薔薇の標的』(村川透監督)と東映で計3本の主演映画が製作された。これらの映画は暴走族のイメージがあるクールスを引きずり、また実際に本人の趣味でもあったため、オートバイを駆使する姿がトレードマークとなった。また、『新・女囚さそり 特殊房X』では、後年を通じても珍しい、完全な悪役(刑務所に新任のエリート課長。全く内面や心情の描写がなく残虐に徹する)も経験している。
1978年10月7日公開の角川映画、野性の証明には、大場一成(演、三國連太郎)の息子、大場成明(なるあき)役として、参加している。
テレビドラマに初出演した『西部警察』(テレビ朝日)シリーズでの登場をきっかけに渡哲也と出会い、最初は、ハーレーダビッドソンを駆使する無頼漢的キャラクターの巽総太郎(愛称「タツ」)役で登場していたが、番組初回から半年間の出演契約となっていたために、半年後の第30話で西部署で最初の殉職刑事となり一旦降板している。1980年春の文献に東映で大々的に舘を売り出す計画があり、万全を期すため降板したと書かれたものがある(薔薇の標的 (1980年の映画)#製作)。
西部警察の撮影初日、東映時代から愛用している黒いディレクターズチェアを石原、渡のディレクターズチェアの横に置いたところ、石原から「10年早いな」と言われ、周囲のフォローを無視して「時代が違いますよ」と反論すると、石原は「悪かったね。時代が違うんだ」と笑って理解を示した。
そして1981年、第109話「西部最前線の攻防(前編)」から、先に殉職した巽刑事役とは別人の鳩村英次役(愛称「ハト」)で再登場。西部警察の撮影中に専務の小林正彦に石原プロモーションへ入社を誘われ、渡哲也に相談していたが、この間の1983年に入社、『西部警察 PART-III』の最終回まで出演していた。『西部警察』に出演して学んだことは「共演することで石原裕次郎、渡哲也という2人の映画スターを先生に持てたことで受けた影響は強い」と語っている。
石原プロモーションに入ったきっかけは、社長の石原裕次郎ではなく渡哲也への憧れからであった。渡には『西部警察』放映時の頃から気に入られており、同番組の地方ロケで宿泊したホテルでの飲み会で、他の皆が御開きにした後も渡に勧められるままに、明け方まで一緒に杯を交わしたという。
『西部警察』シリーズ終了後のテレビドラマではバイクを駆るキャラクターを前面に出す役柄は減ったものの、『あぶない刑事』(日本テレビ)シリーズでは、クライマックスシーンでハーレーなど大型バイクに乗りショットガンを構える姿が「十八番」となっており、相棒役の柴田恭兵とともに還暦以降も激しいアクションを披露した。ドラマでの役柄は所属する石原プロモーション制作やセントラル・アーツを中心に、刑事役が圧倒的に多かったが、近年は時代劇やコミカルな現代劇にも多数出演するようになり、役柄の幅を拡げている。
俳優を始めた頃は撮影所に対するイメージのギャップや、カメラの前に立つ事の違和感、嘘の世界である仕事に納得できなかった。ただ、物を作っていくという過程は楽しかったと述べている。1970年代後半には石原プロから『大都会』(日本テレビ)への出演依頼を受けていたが、当時は「刑事役はやりたくない」と断っていた。刑事ドラマにおける銃の扱い方にはこだわりが強く、「西部警察」の頃は撮影が終わってから、プロップガンを借りて、自宅でプロっぽい仕草を練習していたと当時を語っている。さらに銃撃シーンで右手で銃を構える際に左手を胸に添える独特のスタイルについては「(試行錯誤の末に)最終的にこの形に落ち着いた」と語るが、銃を構えたまま走る姿については、舘自ら千種高校ラグビー部の経験を引き合いに出し、「腕を振らない独特の走り方は『ラグビーボールを拳銃に持ち替えただけ』ともコメントしている。なお、あぶない刑事などの技斗を担当する高瀬将嗣によると、「添えた左手は『心臓の上をガードする』という意味」で、大変勉強になったと後に語っている。
1995年から1997年には、全日本F3000とフォーミュラ・ニッポンに参戦していた「NAVI CONNECTION Racing Team」の監督を務めた。「女の子を口説くつもりで(2ndドライバーを探しに)鈴鹿サーキットへ行ったのに、逆にマッチに口説かれた」と近藤真彦の全日本F3000デビューを後押ししている。
2007年放送の『パパとムスメの7日間』(TBSテレビ)で、新垣結衣扮する娘と体が入れ替わる父親役を演じ、「あの作品のおかげで今の僕がある」と役者として大きな転機になったと話している。
2011年3月28日、石原プロモーション取締役を辞任。マネジメント契約はその後も継続した。
2018年、古巣である東映の黒澤満プロデューサーに薦められ主演した『終わった人』で第42回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門最優秀男優賞を受賞。
2018年9月20日、ラグビーワールドカップ2019 日本大会の”PRキャプテン”に任命される(同Twitterアカウント開設)。
2019年ワールドカップ本大会前に、情報番組『アナザースカイⅡ『(日本テレビ)のロケで、ニュージーランドを訪れた。映画「さらば あぶない刑事」以来の訪問で、親交のあるラグビー元ニュージーランド代表のジョン・カーワンとの交流の模様などが放送された。
2020年、旭日小綬章受章。
2021年1月16日、石原プロモーションが解散。3月17日、新たに芸能事務所「舘プロ」を設立したことを発表。4月1日から同プロの所属俳優として活動する。
石原プロの俳優で歌手も兼任している人物は、石原裕次郎と渡哲也、そして舘ひろしであるが、前記の2人の発表してきた楽曲はどちらかというと歌謡曲または演歌としての色合いが強いが、舘の方はロックバンド出身であるためか、50代半ばにリリースした『貴女と…』もJ-POPのジャンルに入る。
自身が出演するドラマのテーマを手掛けることが多く、テレビ版『あぶない刑事』、『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(テレビ朝日)のオープニングテーマを作曲した。
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