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クリーブランド級軽巡洋艦


クリーブランド級軽巡洋艦


クリーブランド級軽巡洋艦(クリーブランドきゅう けいじゅんようかん、英語: Cleveland-class light cruiser) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦の艦級。改良型の「ファーゴ (CL-106) 」以降を含む資料も存在する。

来歴

1937年1月1日のロンドン海軍軍縮条約失効に伴い、列強各国に課せられていた巡洋艦の保有制限は解除された。同時にワシントン海軍軍縮条約も失効したことから、各国は一斉に海軍軍備の拡張に乗り出しており、1938年5月には、アメリカでも第2次ヴィンソン海軍法と通称される一大海軍拡張計画が議会を通過した。同計画には10,000トン型軽巡洋艦が盛り込まれていたが、これによって建造されたのが本級である。

設計

当初は基準排水量8,000トン、6インチ両用砲 連装5基搭載というアトランタ級の拡大型として計画されたものの、搭載砲の開発が間に合わなかったことから、ブルックリン級軽巡洋艦後期型(セント・ルイス級)の船体設計を踏襲することとされた。

主砲としては、セント・ルイス級と同じくMk.16 47口径6インチ砲を三連装砲塔に配して搭載した。ただしセント・ルイス級では、前甲板3基・後甲板2基の計15門搭載であったのに対し、本級では前後甲板に2基ずつに削減された。その一方で、Mk.12 38口径5インチ両用砲は12門(連装6基; セント・ルイス級では連装4基)に増備され、また56口径40mm機銃など高角機銃も多数を搭載するなど、対空砲火力は大幅に強化された。

配備

まず1940年度計画で4隻の建造が決定され、その後さらに1941年度計画で32隻、1942年度計画で16隻の建造が追加されたことから、合計52隻という大量建造が計画されることとなった。

その後、3隻は建造中止され、また13隻は発展型(ファーゴ級)に、9隻は軽空母(インディペンデンス級)に設計変更されて建造されたことから、本級として完成したのは27隻であった。

運用史

「クリーブランド」「コロンビア」「モントピーリア」「デンバー」は水上戦闘部隊の手駒が切れかかっていた時期の1943年11月2日、ブーゲンビル島攻略支援に第39任務部隊の主力として投入された。日本海軍は天候不良とアメリカ軍に察知されたため逆上陸作戦を中止していたが、第39任務部隊の撃滅を目指し、エンプレス・オーガスタ湾に突入してきた。クリーブランド級4隻は悪天候の中、レーダー射撃を有効に利用して日本連合襲撃部隊に打撃と混乱を与え、軽巡洋艦「川内」と駆逐艦「初風」を撃沈した。体勢を整えた日本海軍は「デンバー」と駆逐艦2隻を損傷させたが、煙幕を張って回頭したアメリカ艦隊を撃破、撃沈したものだと誤認して退却した。重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦11隻の有力な艦隊に対してクリーブランド級4隻、駆逐艦8隻という劣勢状況下で1隻の沈没なく日本海軍を撃退したことから当級の優秀さが窺える。ソロモン近海の制海権はアメリカ海軍が堅持し、この海戦の約一週間後にはギルバート・マーシャル攻略が開始された。

順次、竣工したクリーブランド級は空母機動部隊の護衛や上陸戦の火力支援(艦砲射撃)などに従事し、アメリカ海軍の反攻を影から支えた。

戦後、1959年から1974年にかけて大半の艦はスクラップとして解体されたが、一部の艦は艦対空ミサイル・システムを搭載してミサイル巡洋艦に改装された。「スプリングフィールド」「トピカ」「プロビデンス」はテリア・システムを搭載してプロビデンス級ミサイル巡洋艦、「オクラホマシティ」「リトルロック」「ガルベストン」はタロス・システムを搭載してガルベストン級ミサイル巡洋艦に改装されて、1970年代まで現役に留まることとなった。また、「ヴィンセンス」「ウィルクスバリー」「アトランタ」の3隻は実験艦、標的艦として使用、処分された。

画像

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、クリーブランド級軽巡洋艦に関するカテゴリがあります。
  • グローバルセキュリティー (2011年7月22日). “CL-55 Cleveland” (英語). 2014年10月7日閲覧。
  • Statistics
Collection James Bond 007

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: クリーブランド級軽巡洋艦 by Wikipedia (Historical)