松平 忠昭(まつだいら ただあき)は、丹波国亀山藩主。官位は従五位下・玄蕃頭、伊賀守。伊賀守流藤井松平家2代、同家の亀山藩主としても2代目となる。
初代藩主・松平忠晴の次男として誕生した。幼名は千太郎。
正保2年12月(1646年)、嫡出の兄忠俊が早世するが、忠昭は幼少のため、藤井松平宗家から従兄の忠栄が嫡子として迎えられた。しかし寛文6年(1666年)、忠栄は廃嫡され、忠昭が嫡子となって徳川家綱に初御目見した。寛文7年(1667年)、父の隠居により忠昭が家督を相続した。
男子が全て夭逝していたため、父の遺命に従って異母弟の忠周を嗣子とする。天和3年(1683年)に没した。法号は勇哲存秀晋光院。墓所は京都府京都市左京区の光明寺。
死の半年ほど前に男子が出生した。後の忠隆である。忠昭の死後、家督を巡って家臣間の権力抗争が生じたが、結局は父・忠晴の遺命どおりの家督相続となった。
父母
正室
側室
子女
養子
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