![ヘンリー・ブランコ ヘンリー・ブランコ](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/20/Henry_Blanco_from_Nationals_vs._Braves_at_Nationals_Park%2C_April_6th%2C_2021_%28All-Pro_Reels_Photography%29_%2851101619492%29_%28cropped%29.png/400px-Henry_Blanco_from_Nationals_vs._Braves_at_Nationals_Park%2C_April_6th%2C_2021_%28All-Pro_Reels_Photography%29_%2851101619492%29_%28cropped%29.png)
ヘンリー・ラモン・ブランコ(Henry Ramón Blanco, 1971年8月29日 - )は、ベネズエラのカラカス出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。2018年シーズンからMLBのワシントン・ナショナルズのブルペンコーチを務める。オフには、母国ベネズエラのウィンターリーグのブラボス・デ・マルガリータで監督を務めている。
1989年にロサンゼルス・ドジャースに入団した。
1997年7月25日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビューを果たす。
1998年はメジャーでの出場機会がなく、10月15日にFAとなった。
1998年12月18日にコロラド・ロッキーズと契約。
1999年12月13日、ロッキーズ、オークランド・アスレチックス、ミルウォーキー・ブルワーズ間の三角トレードでブルワーズへ移籍。
2002年3月20日にポール・バコおよびホセ・カブレラとのトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した。
2003年10月31日にFAとなった。
2003年12月18日にミネソタ・ツインズと契約した。
2004年、正捕手だったA.J.ピアジンスキーが前年のシーズン終了後にサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍していたツインズは、新人のジョー・マウアーを開幕戦で先発出場させた。しかしそのマウアーが2戦目で故障し約50試合を欠場したため、ブランコが代役として先発出場するようになった。マウアーは6月2日にいったん復帰したが7月15日を最後に再び離脱し、そのときもブランコが代役を務めた。この年は最終的に自身最多の114試合に出場し、盗塁阻止率.492と高い数字を残してマウアーの穴を埋めた。オフの10月28日にFAとなった。
2004年12月8日にシカゴ・カブスと契約した。
2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベネズエラ代表に選出された。同大会では1試合に出場。同大会について「とても楽しい時間を過ごせた。(中略)国を代表することは何にも代えられない特別な気持ちになる。また代表になれたら最高だ」と言及している。オフの10月31日にFAとなったが、11月15日にカブスと再契約した。
2008年は、若手有望株ジオバニー・ソトの教育係としての役割も期待されていた。オフの10月31日に球団が300万ドルのオプションを破棄したため、FAとなった。11月30日に母国ベネズエラで兄カルロスが誘拐され、身代金を要求される事件が発生。翌12月1日には、射殺遺体が発見された。
2009年1月21日にサンディエゴ・パドレスと1年75万ドルで契約。開幕前の3月に開催された第2回WBCのベネズエラ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。オフの11月5日にFAとなった。
2009年12月4日にニューヨーク・メッツと1年150万ドルで契約。
2010年11月1日にFAとなった。
2010年12月17日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと1年100万ドルで契約。
2011年11月2日に球団が115万ドルのオプションを破棄し、FAとなったが、翌日の3日にダイヤモンドバックスと1年120万ドル(2013年のオプション付き)で再契約した。
2012年10月31日に球団が124万ドルのオプションを破棄したため、FAとなった。
2013年1月11日、トロント・ブルージェイズと1年75万ドルで契約。6月7日にDFAとなり、6月11日にFAとなった。
2013年6月14日にシアトル・マリナーズと契約した。10月8日にDFAとなり、10日にマイナー契約を拒否したためFAとなった。
2013年12月13日にダイヤモンドバックスとマイナー契約で合意したが、2014年3月31日に現役引退を発表し、ダイヤモンドバックスのコーチに就任した。また、この年のオフから母国ベネズエラのリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルのブラボス・デ・マルガリータで監督を務める事となった。
2015年シーズンからは、カブスでクオリティ・コントロールコーチに就任し、2017年まで務めた。
2017年開幕前の3月に開催された第4回WBCのベネズエラ代表コーチを務める。
2018年シーズンからはワシントン・ナショナルズのブルペンコーチを務める。
ポジションは捕手で、他に一塁手・三塁手・左翼手としてのプレー経験がある。典型的な守備型の捕手で、特に強肩で知られており、3割台で御の字と言われる盗塁阻止率もかなりの高水準にある。また、リードやキャッチングが巧く、捕逸も少ない。ブレーブス、カブス時代はグレッグ・マダックスの専属捕手を務めたこともあり、リードには定評がある。
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