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エンディ・チャベス


エンディ・チャベス


エンディ・デヘスス・チャベスEndy DeJesus Chávez, 1978年2月7日 - )は、ベネズエラのカラボボ州バレンシア出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。現在はメキシカンリーグのプエブラ・パロッツに所属。

経歴

メッツ傘下時代

1996年4月29日にニューヨーク・メッツと契約したチャベスはドミニカのサマーリーグでプロとしてのキャリアをスタートさせる。この年は48試合に出場し打率.354であった。

1997年はルーキーリーグのアパラチアンリーグ、キングスポート・メッツでプレー。

2000年にはアドバンストAで111試合に出場し打率.298、38盗塁の好成績を残す。オフの12月11日にルール5ドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズに指名され、移籍することとなる。

2001年シーズン開幕直前の3月20日にロースターを外れることになり、メッツへ返却される。

ロイヤルズ時代

2001年3月20日にマイナー一選手とのトレードで再度獲得した。このシーズンはAAで打率.298と好調であったため、5月29日にメジャーに初昇格する。しかし打率.208と壁に当たってしまい、AAAに降格される。ここでは打率.337を記録した。

メッツ復帰

2001年オフの12月20日にはウェーバー公示され、デトロイト・タイガースに移籍。

2002年2月1日に再度ウェーバーにかけられ、メッツに移籍した。

エクスポズ・ナショナルズ時代

2002年2月22日にまたしてもウェーバーにかけられモントリオール・エクスポズへと移籍することとなった。開幕はAAA級オタワでむかえたが5月7日にメジャーに昇格、だが打率.194と打撃不振のため5月25日に降格。再昇格はセプテンバー・コールアップまで機会はなかった。AAAのインターナショナルリーグでは103試合に出場し打率.343、21盗塁と活躍し、オールスターにも選出された。9月3日に再昇格後は打撃が好調で9月21日にはメジャー初本塁打を放った。最終的な打率は.296まで上げてシーズンを終えた。守備面では35試合の出場にもかかわらず7補殺と強肩ぶりをみせた。

2003年、2004年は打撃面では特筆すべき点はなかったが、それぞれ9補殺、2004年には32盗塁も記録した。

2005年はホセ・ギーエンの加入やライアン・チャーチの台頭などで開幕をAAA級でむかえる。5月3日に昇格したが7試合の出場機会しか与えられず、クラウディオ・バーガスが故障者リストから復帰した11日には降格されるなど、構想外となっていた。

フィリーズ時代

2005年5月14日にマーロン・バードとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍する。しかし移籍したフィリーズにもケニー・ロフトン、ボビー・アブレイユ、パット・バレルといった強いレギュラー陣がいたため、ジェイソン・マイケルズと共に控えに甘んじ、先発出場は10試合にとどまった。オフの12月21日にFAとなった。

メッツ復帰

2005年12月22日にメッツとマイナー契約を結んだ。3度目のメッツ傘下入りとなった。

2006年開幕前の3月に第1回WBCのベネズエラ代表に選出された。シーズンでは開幕を控えの外野手としてむかえるが、クリフ・フロイドの故障やゼイビア・ネイディのトレードなどで出場機会が増え、133試合に出場する。規定打席には届かなかったものの打率.306を記録。外野の全ポジションを守り無失策、9補殺と、チームのナ・リーグ東地区優勝に貢献する。ロサンゼルス・ドジャースとのディビジョンシリーズでは全3試合に出場し打率.375を記録、チームは3勝0敗でドジャースを下した。

“ザ・キャッチ”

2006年、セントルイス・カージナルスとのリーグチャンピオンシップシリーズは、2勝3敗と王手をかけられた状態で本拠地シェイ・スタジアムに戻ってきた。第6戦は5人の投手の継投で勝利をおさめ、3勝3敗で第7戦をむかえる事となった。オリバー・ペレスとジェフ・スーパンの先発ではじまったこの試合は1対1の緊迫した展開で6回をむかえた。ペレスがジム・エドモンズを四球で出した後、スコット・ローレンが大飛球を放った。明らかに本塁打になると思われた打球を、左翼を守っていたチャベスはジャンプしてキャッチした(動画)。最終的に試合はヤディアー・モリーナが9回に2ラン本塁打を打ち負けたが、チャベスいわく「捕れる可能性は10%くらいしかないと思った」ほどの好プレーで、プレーオフ史上に残る大プレーとなった。

2007年もサブメンバーとして開幕を迎えたが、ハムストリングの故障で2か月半も故障者リスト入りするなど、71試合の出場にとどまった。12月にはウィンターリーグで足首とハムストリングを同時に怪我してしまったが、スプリング・トレーニングには間に合う見通しである。

2008年1月22日にメッツと総額4,475,000ドルの2年契約で合意した。

メッツ退団後

2008年12月10日にメッツ、シアトル・マリナーズ、クリーブランド・インディアンスの間で計12選手が移籍する三角トレードが成立し、アーロン・ハイルマン、ジェイソン・バルガスら計6選手と共にマリナーズへ移籍した。

2009年開幕前の3月に第2回WBCのベネズエラ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。シーズンでは開幕をメジャーで迎え、シーズン序盤胃潰瘍で故障者リスト入りしていたイチローが復帰するまでは1番打者として活躍。イチロー復帰後も下位打線や代走要員として活躍していたが、6月19日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でレフトの守備に入った際にフェリペ・ロペスの放った飛球を追ってショートのユニエスキー・ベタンコートと交錯。右膝十字靱帯断裂の大怪我を負った。

2010年2月15日、テキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。同年は、前年の負傷の影響で出場は無かった。11月6日にFAとなったが、12月18日に再契約した。

2011年はスーパー・サブとして復活を遂げ、打率.301を記録するなど2年連続リーグ優勝に貢献した。10月30日にFAとなった。12月18日、ボルチモア・オリオールズと1年契約を結ぶ。

2012年10月29日にFAとなった。12月31日に古巣ロイヤルズとマイナー契約を結んだ。

2013年3月22日に放出された。3月24日に古巣・マリナーズと契約。10月31日にFAとなった。

2014年1月23日にマリナーズとマイナー契約で再契約したが、3月25日に放出された。3月26日に契約内容を変更し、マリナーズとマイナー契約で再契約した。開幕後はAAA級タコマ・レイニアーズで37試合に出場し、5月30日にマリナーズとメジャー契約を結んだ。

2015年3月31日に解雇となる。

マリナーズ退団後

2016年3月8日に独立リーグ・アトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 2017年度シーズン終了時
  • MON(モントリオール・エクスポズ)は、2005年にWSH(ワシントン・ナショナルズ)に球団名を変更

代表歴

  • 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・ベネズエラ代表
  • 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・ベネズエラ代表

脚注

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 C
  • ベネズエラ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Endy Chavez stats MiLB.com (英語)
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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: エンディ・チャベス by Wikipedia (Historical)



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