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大伴狭手彦


大伴狭手彦


大伴 狭手彦(おおとも の さてひこ)は、古墳時代後期の豪族。佐弖彦佐提比古郎子とも表記される。カバネは連。大伴金村の三男。『新撰姓氏録』によれば道臣命(大伴氏祖)の十世孫とされる。

経歴

『日本書紀』によれば、宣化天皇2年(537年?)10月、新羅が任那を侵攻したため、朝鮮に派遣されて任那を鎮めて百済を救った。また同書によると、欽明天皇23年(562年?)8月、大将軍として兵数万を率いて高句麗を討伐、多数の珍宝を獲て帰還したという(一本には欽明天皇11年(550年?)とする)。

これらとほぼ同様の伝えは『日本三代実録』貞観3年(861年)の記事にも見えており、狭手彦の献じた高句麗の囚が山城国の狛人の祖となったという。

そのほか、『肥前国風土記』松浦郡条、『万葉集』巻5には、狭手彦と弟日姫子(松浦佐用姫)との悲話が載せられている。

後裔氏族

『新撰姓氏録』には、次の氏族が後裔として記載されている。

  • 神別 左京 大伴連 - 道臣命十世孫の佐弖彦の後。
  • 神別 左京 榎本連 - 道臣命十世孫の佐弖彦の後。

脚注

参考文献

  • 「大伴連狭手彦」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642014588。 

関連項目

  • 大伴氏
  • 松浦佐用姫
  • 刺田比古神社(和歌山市)道臣命、大伴狭手彦を祀る
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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 大伴狭手彦 by Wikipedia (Historical)