Aller au contenu principal

平野町 (名古屋市)


平野町 (名古屋市)


平野町(ひらのちょう)は、愛知県名古屋市西区の町名。現在の名西一丁目、則武新町一丁目の各一部に存在した。穢多部落であった。

地理

平野町は押切町7、8丁目の南に位し、東南西の三面は南押切町に境する。名古屋城の西、美濃路から南に入った小路沿いを町域とした。1941年に現在の国道22号沿いが菊ノ尾通となったため、町域が南北に分断されていた。

歴史

いにしえより押切村に属す。かつて村内に3人の穢多が住んでいたが、慶長、元和の頃に清洲より3人、小幡村より1人移住し、その後戸口が増えた。穢多ヶ小路、穢多輪中、細工人町の名称をもつ。屠児の首領を平野小市といい、家の棟に御太鼓所と書いた看板をかかげた。明治初年、平野鉄五郎は零落し、一家を挙げて京都に移住した。

町名の由来

当地に住んだ平野小市に由来する。

町名・町界の変遷

  • 1878年(明治11年)12月28日 - 愛知郡押切村の一部が名古屋区に編入され、編入された区域の一部が名古屋区平野町となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 市制施行により名古屋市が成立し、同市平野町となる。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 名古屋市が市制に基づく区を設置し、西区平野町となる。
  • 1941年(昭和16年)10月14日 - 南押切・南押切町の各一部を編入する。また、一部が菊ノ尾通・縁場町・大道町にそれぞれ編入される。
  • 1994年(平成6年)2月14日 - 住居表示に伴い、名西一丁目、則武新町一丁目の各一部となる。

経済

大正時代の平野町の人々の職業は、下駄表製造186人、下駄の歯入110人、靴職51人、草履作り30人、洋傘直27人、犬殺し14人である。

地域

他の部落同様に犯罪者が多数おり、正常な生活者は少なかった。

施設

  • 津島神社
  • 正信寺(真宗高田派)

脚注

Giuseppe Zanotti Luxury Sneakers

参考文献

  • 部落問題研究所編『講座部落 第1(部落の歴史 上)』三一書房、1960年。
  • 『同朋学報(18/19)』同朋学会、1968年。
  • 『名古屋市史 第8巻(地理編)』愛知県郷土資料刊行会、1980年。
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 23巻《愛知県》、角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 
  • 角川書店 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。 

関連項目

  • 名古屋市の地名

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 平野町 (名古屋市) by Wikipedia (Historical)



ghbass