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観音崎 (神奈川県)


観音崎 (神奈川県)


観音崎(かんのんざき)は、神奈川県横須賀市鴨居4丁目に位置する岬。岬周辺の地域を表す地名として用いられることもある。

国土地理院の地図上の表記は「観音崎」、海上保安庁の海図上の表記は「観音埼」である。先端に観音埼灯台がある。

概要

三浦半島東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する。対岸の房総半島富津岬までは約7kmである。付近は「県立観音崎公園」として整備され、観音埼灯台が立地するほか旧日本陸軍が明治10年代から20年代にかけて建設した砲台と弾薬庫跡が多く残る。園内にはこのほか1953年創立の観音崎自然博物館があり、横須賀美術館が2007年(平成19年)4月に開館した。園内には墓と見られる多くの横穴が崖にみられる。また、海上保安庁東京湾海上交通センター(とうきょうマーチス)の観音埼レーダー施設も公園内にある。

観音崎海水浴場が隣接しており、夏季は海水浴客で賑わう。他にラビスタ観音崎テラス(旧観音崎京急ホテル)や海上自衛隊観音崎礼砲台がある。

気象庁は観音崎東端を津波予報区における境界として定めており、観音崎東端以北の東京湾沿岸を東京湾内湾、観音崎東端以南の神奈川県沿岸を相模湾・三浦半島としている。

名称の由来

741年(天平13年)、行基がこの地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったと伝えられる。江戸時代には観音堂など堂宇が創建されて仏崎山(ふだらくさん)観音寺と称し、幕府から朱印地を与えられていた。

観音寺は1880年(明治13年)に陸軍の砲台建造に伴って鴨居の亀崎(現・横須賀市鴨居3丁目)へ移転、1986年(昭和61年)には火災のため焼失してしまい、現在は小さな堂が残っている。

2019年9月、新たに制作された観音像が海蝕洞に安置された。

観音埼灯台

観音埼灯台は、1869年(明治2年)に建設、初点灯した日本最初の洋式灯台である。その後、関東大震災など二度の地震で倒壊し、現在の灯台は3代目にあたる。灯台内部の見学も可能(有料)。

詳細は観音埼灯台の項を参照。

  • 高さ:19m
  • 光達距離:20海里

ガリヴァー旅行記による町おこし

ガリヴァー旅行記で、「ガリヴァーが日本に入港した場所ザモスキが観音崎である」としての町おこしが2000年代半ばから行なわれている。"Xamoschi" (ザモスキ) と"Kannosaki" 「カンノサキ」の筆記体が「似ている」ことなどによるとされる。町おこしを推進する市民団体では「夢のあるエピソード」としている。これを受け、横須賀出身のミステリー作家山口雅也も、ガリバーが観音崎に上陸するシーンを描いた作品『狩場最悪の航海記』を発表している。2009年のガリバー観音崎上陸300周年にテーマ曲「FANTASIA ~華麗なガリバー旅行記~」が作られている。

ギャラリー

アクセス

バス

  • 京急本線馬堀海岸駅・浦賀駅より京浜急行バス「観音崎」下車

自動車

  • 横浜横須賀道路馬堀海岸ICから走水方面へ約10分

脚注・参考文献

関連項目

  • 観音崎
  • 観音崎公園
  • 剱崎
  • 映画の舞台
    • 喜びも悲しみも幾歳月
    • ゴジラ(円谷英二)
    • 球形の荒野
    • レコーディングスタジオ
    • 防衛大学校逍遥歌(本校は観音崎のすぐ近くである)
    • よそゆき顔で - 松任谷由実の時のないホテル収録曲。「白いセリカ」とともに、「観音崎の歩道橋」という歌詞が存在している。

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 観音崎 (神奈川県) by Wikipedia (Historical)



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