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アグネスレディー


アグネスレディー


アグネスレディー(1976年 - 1993年)は、日本の競走馬、繁殖牝馬である。1979年の優駿牝馬(オークス)などに優勝し、同年の優駿賞最優秀4歳牝馬に選出された。主戦騎手は河内洋。引退後は繁殖牝馬となり、桜花賞優勝馬アグネスフローラを産んだ。同馬の産駒にアグネスフライト・アグネスタキオン兄弟(父・サンデーサイレンス)がいる。

※馬齢は2000年以前に使用された旧表記(数え年)で記述する。

デビュー前

1976年、北海道三石町の折手牧場に生まれる。父は当時新進の種牡馬であったイギリス産のリマンド、母イコマエイカンは1勝馬であったが、本馬の出生時には同じく父にリマンドを持つ産駒・グレイトファイターがすでにオープンクラスで活躍していた。2歳時から3歳馬と一緒の育成を楽にこなし、競走年齢の3歳を迎えた1978年に当時の牝馬としては高額の1800万円で渡辺孝男に購買され、滋賀県栗東トレーニングセンターの長浜彦三郎厩舎に入った。競走名「アグネスレディー」はアイドル歌手のアグネス・チャンから渡辺の長女が決定したものである。渡辺は1990年に行われたインタビューで、「アグネス」の冠名を使い始めてからアグネスホープに次ぐ2頭目(牝馬では最初)の活躍馬として本馬の名を挙げている。

戦績

3-4歳時(1978-1979年)

1978年10月、京都開催の新馬戦で久保敏文を鞍上にデビュー。初戦は追い込みが届かず2着に敗れたが、2戦目で初勝利を挙げる。3戦目から騎手が河内洋に替わり、好位から抜け出して連勝した。河内は当時5年目の若手騎手であり、有力馬のベテランから若手への乗り替わりは、当時珍しい例であった。渡辺が初戦の敗戦に不満を覚えたことが原因ともされている。

翌1979年、クラシックを目標に1月の紅梅賞から始動したものの、同時期に歯替わりが上手く行かず食が細ったこともあり、緒戦から僅差ながら3連敗を喫する。クラシック初戦の桜花賞では2番人気に支持されたが、苦手の重馬場で6着に終わった。

しかし次走の東京4歳牝馬特別(オークストライアル)でシルクスキーの2着と好走、迎えた優駿牝馬(オークス)ではシルクスキーの骨折・戦線離脱により、桜花賞優勝のホースメンテスコ等を抑えて1番人気に支持された。レースでは道中5、6番手を進むと、直線で半ばで抜け出し、2着ナカミサファイアに2馬身半の差を付けて優勝。重賞初制覇をクラシックで果たした。河内にとってもデビュー6年目で初めての八大競走制覇であり、1976年の第37回競走で2番人気に推されながら6着に終わっていた全姉・クインリマンドの雪辱ともなった。

夏を休養に充て、秋はエリザベス女王杯を目標に据えた。神戸新聞杯、京都牝馬特別をそれぞれ3、5着として女王杯を迎える。当日は1番人気に支持されると、苦手とする不良馬場の中を直線で先頭に立った。しかしゴール手前でミスカブラヤに一気に交わされ、同馬から 1馬身半差の2着に終わった。年末の阪神牝馬特別も5着と精彩を欠いたが、オークス優勝が評価され、翌1月には当年の最優秀4歳牝馬に選出された。

5歳時(1980年)

古馬となった1980年は、日経新春杯から始動。生涯最低に並ぶ9番人気と低評価であったが、3着と好走する。続く京都記念(春)では最後の直線入り口からメジロトランザムと一杯に競り合い、同馬をハナ差退けて優勝。オークス以来の勝利を挙げた。次走オープン戦を2着として春季のグランプリ・宝塚記念に出走。しかしここは不良馬場に手間取り、最下位と大敗を喫した。

休養を経て、朝日チャレンジカップに出走。ファインドラゴン、シルクスキーとの競り合いを制し、重賞3勝目を挙げた。当日、馬主の渡辺はイギリスの大種牡馬・ミルリーフとの交配権確保のため渡英しており、表彰式には不在であった。その後交渉が成立し、本競走を以て引退が決定。12月14日、京都競馬場で引退式が行われた。

全成績表

繁殖牝馬時代

引退後の1981年1月14日に渡英し、予定通りミルリーフとの交配を済ませて11月に帰国。翌3月に故郷・折手牧場において、初仔となる牡駒を出産した。同馬はミルグロリーと命名されて期待を受けたが、デビュー直前の調教中に骨折し、競走能力を喪失。出走しないまま引退を余儀なくされた。以後しばらく目立った産駒はなかったが、ロイヤルスキーとの間に産んだ第6仔・アグネスフローラが、河内の手綱で1990年の桜花賞に優勝し、母仔二代のクラシック優勝馬となった。

1993年3月11日、アグネスレディーは移送中の馬運車の中で暴れ、背骨を骨折。18歳で死亡した。その1ヶ月前、繋養先が折手牧場から社台ファームに変更することが決まった際にも馬運車に乗るのを拒んで暴れ、移送延期の原因となったという。

その死後、アグネスフローラの産駒・アグネスフライト(父サンデーサイレンス)が2000年の東京優駿(日本ダービー)を制し、日本競馬史上初の牝系三代によるクラシック制覇を達成。さらにその翌年、全弟アグネスタキオンも皐月賞に優勝した。同馬は2008年に内国産馬として史上3頭目のリーディングサイアーも獲得している。河内は騎手生活中にこれら全馬の手綱を執り、「この血統は本当に僕の騎手としての核になる部分を形成している」と語っている。

2010年代以降も、ブレイキングドーンやテイエムトッキュウなど末裔の活躍が続いている。

産駒一覧

※産駒は全て母と同馬主・同厩舎(第4仔クローネから後は長浜彦三郎から長浜博之に代替わり)だった。

血統

同じ配合で生まれた産駒には、本馬を含めて3頭の重賞勝利馬がいる。リマンド産駒の牝馬はテンモン、タレンティドガールなど長距離においても瞬発力を発揮することを特長とした。河内が騎乗した活躍馬には牝馬が多く、「牝馬の河内」とも称されたが、その内で「距離が延びて切れる(瞬発力がある)というのは牝馬ではこの馬だけかも知れない」と語っている。

血統表

叔母の曾孫にブリーダーズゴールドカップを制したスノーエンデバーがいる。4代母Light Brocadeは1934年のオークス馬、5代母Trilogyは1926年の1000ギニー2着馬。

脚注

参考文献

  • 『優駿』1989年6月号(日本中央競馬会)横尾一彦「オークスの令嬢 - アグネスレディー」
  • 『優駿』1990年5月号(日本中央競馬会)「オーナー愛馬を語る44 アグネスフローラの渡辺孝男さん」
  • 大川慶次郎ほか『サラブレッド101頭の死に方(文庫版)』(徳間書店、1999年)ISBN 978-4198911850
  • 加賀谷修、河内洋『一生競馬』(ミデアム出版社、2003年)ISBN 978-4944001996

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: アグネスレディー by Wikipedia (Historical)



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